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「男女別学」は先進的?-群馬学センター・熊倉教授に聞く

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「男女別学」は先進的?-群馬学センター・熊倉教授に聞く

文化

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2017.05.07 
tags:群馬学, 群馬学センター, 群馬学センター 県立女子大学, 群馬県立女子大学, 群馬学 熊倉浩靖教授

鶴舞う形の群馬県 「上毛かるた」は群馬県民の魂でもある。

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  ネット上で〝グンマー帝国〟が話題になったかと思えば、魅力のない都道府県ランキングで「上位」になって話題を振りまいたり、「お前はまだグンマを知らない」がドラマ化されたりと、何かと群馬が熱い。そんな群馬を研究する「群馬学」という学問があることをご存じだろうか。
 趣味的な学問ではない。れっきとした研究として、群馬県立女子大学には「群馬学センター」が設置されている。
 このセンターで副センター長を務める県立女子大教授の熊倉浩靖氏に「群馬学」について聞いた。
(取材=峯岸武司)
 
群馬黒
 
■群馬にはなぜ男女別学が多いのか?
 群馬県は公立高校の男女別学が多い。これは全国的に見ると珍しい傾向だ。どうしてなのか、疑問に思った人もいるはずだ。
 街の声を拾うと、「群馬は保守的だから」「考え方が古い閉鎖的な土地柄だから」という声が圧倒的に多かった。やはり地元であっても「群馬=保守的」というイメージは根強い。
 これらの声を熊倉教授に投げかけると、意外にも「実はそうとは言い切れないんです」との答えが返ってきた。
「これは先進性が歳月を経て後進性に転化してしまった事例とも言えます。実は群馬をはじめ養蚕の盛んだった地域は女性の教育がいち早く整備され、先駆的な場所だったんです」。
 
熊倉浩靖【写真】群馬県立女子大学・群馬学センター副センター長 熊倉 浩靖教授

 明治期、日本の主要産業は養蚕・製糸業だった。上毛かるたに「繭と生糸は日本一」とあるように、群馬県は長野県と並んで生糸の生産地として栄えていた。
 世界遺産にも指定されている富岡製糸場以外にも県内には数多くの養蚕・製糸業の施設が作られ、一大「シルクカントリー」を形成した。そして、その工場を支えたのが「工女」の存在だ。
「当時の日本社会にははるかにお金に困っていた藩の下級武士はたくさんいました。それでも男性が働き手にならなかった。富岡製糸場の世界遺産登録にも尽力された本学の松浦先生が『シルクは女性の糸、ウールは男性の糸』とおっしゃっているように、シルクは作る過程から使うところまで女性が主役なんです」(熊倉教授)

 工女というと、山本茂実が1968年に発表したノンフィクション「ああ野麦峠」をイメージする人も少なくないだろう。長期にわたって飛騨・信州一円を取材し、数百人の工女や工場関係者からの聞き取りを行って書いた作品だ。
 粗末な食事、低賃金、過酷な長時間労働は現在の「ブラック企業」のイメージそのものだが、これはあくまで民間の紡績会社の実情を描いたものだ。「工女=悲惨な労働」というのはすべての製糸場には当てはまるわけではない。
 官営の富岡製糸場は「殖産興業」という国家的プロジェクト中で建造された。そこで働く工女も、旧士族の娘をはじめ、全国から集まった優秀な女性が競って働いた。


 工女のランクは8段階あり、最高ランクの一等工女は高収入なばかりか、服装も特別な待遇を受けたそうだ。頑張った分が給料に反映される能率給の制度が取り入れられ、当時としては最先端の労働環境を誇っていた。
 富岡製糸場の工女は、24時間拘束の「奉公」ではなく、現在同様の「契約」に基づく時間勤務だった。産業医までいたそうだ。
 「全寮制で賄いつき、女子教育の一環として、やがて夜学も開かれます」(熊倉教授)。富岡製糸場は女性の社会進出・社会参加と教育という観点からも先進的な存在だった。
 工女たちは単なる労働者ではなく、ここで学んだ技術を出身地で指導する役割をになっていて、高い教養や指導力なども必要とされた。今でいう「キャリアウーマン」のはしりともいえる。
 
 こういう流れの中で、明治期にもかかわらず、女性の社会進出が進み、県立高等女学校(現在の高崎女子高校)が作られた。県立女子大学ができるまで「県女」といえば、「高女」のことを指したそうだ。「『県立』の『高等女学校』自体がプライド、先進性の象徴的な表現でした」と熊倉教授は教えてくれた。ちなみに前橋高等女学校(現在の前橋女子高校)ができるのは、この後だ。
「女性の教育が進んでいたという点で、群馬は非常に先進的な地域だったんです」(熊倉教授)。

 戦後、男女平等の考え方が浸透する中で、他県では男女共同の学校が数多く設置されたが、女学校の流れを組む、伝統校はそのまま女子高校として残った。
「基本的に、今でも公立の男子校・女子高が残っているのは、かつて養蚕がさかんなところです。たとえば、埼玉県北部や栃木県、福島の安積地域もそうですね」と熊倉教授は説明する。
 女性の社会進出は、高度成長期の過程で出てきた現象だ。その意味で、養蚕業のさかんな群馬県では明治期にすでに女性の社会進出が浸透していた。しかし、戦後、男女共学が主流になる中で、かつての伝統から抜け切れないまま「男女別学」というスタイルが残ったというわけだ。
 
群馬黒
 
■「群馬学」とは何かーグンマから世界を見つめ、世界からグンマを見つめる
 群馬の男子校から関西方面の大学に進学したA君は、兵庫県出身の友人に男子校出身だという話をした際、「私立なんや」と言われたそうだ。公立男子校だと説明すると「さすがグンマは封建的やなあ」と笑われたそうだ。現在、男女別学の公立高校は全国的に見ると少数派だ。
 たしかに「いま」という断面だけを切り取れば、「男女別学」は旧態依然とした制度であり、封建的・保守的な色合いが強い。しかし、歴史という座標軸の中で見つめ直すと、それはかつての先進性の所産であり、明治期以降の近代群馬の歴史的遺産と見ることもできる。

 「これからどこかにむかって行くためには、いまここにあることの意味を考えなければならない。外に何かを発信するには、まずは、自分の地域で誇るべき特色は何かを見つめ直さねばならない。」
 これは県立女子大の群馬学センターのホームページには記された言葉だ。そして、こう続く。
「ことばや文学、歴史、民俗、経済など多方面から〈群馬〉の特色を浮き彫りにしながら、〈群馬〉の来し方行く末を皆で考えていきたい。いまの〈群馬〉を見つめ、これからの〈群馬〉を考える。かつての〈群馬〉を知り、これからの〈群馬〉の姿を描く。〈群馬〉とは何かを問うことは、いまここにいる私とは何かを問うことになる」
 そして、こうした取り組みを通して、〈群馬〉の未来をひらき、〈群馬〉をおこすことにつなげていこうとするのが「群馬学」という学問の試みだ。
「群馬から日本や世界を考える、逆に日本や世界から群馬を見つめるのが『群馬学』です。単なる郷土研究ではなくもっと幅のある研究です。学者だけのものでなく、外部にも開かれた学問でもあります」(熊倉教授)
 
 
●熊倉浩靖教授プロフィール
 群馬県高崎市生まれ。京都大学理学部中退。シンクタンク勤務を経て、群馬学センター設置に伴い副センター長に就任。専門は日本古代史、社会教育、行政評価、地域づくりの多岐にわたる。
 主著「上野三碑を読む」(2016年・雄山閣、現在改訂増補版準備中。2017年5月末刊行)、他に「日本語誕生の時代 上野三碑からのアプローチ」(2014年・雄山閣)「井上房一郎・人と功績」(2011年・みやま文庫)「古代東国の王者 上毛野氏の研究」(2008年・雄山閣)編著に「群馬県謎解き散歩」(2013年・新人物文庫)など。

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