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【熊倉先生・特別寄稿】小学生にもわかる上野(こうずけ)三碑❹ 金井沢碑が語ること 

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【熊倉先生・特別寄稿】小学生にもわかる上野(こうずけ)三碑❹ 金井沢碑が語ること 

文化

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2017.11.28 
tags:群馬学 熊倉浩靖教授, 多胡碑 金井沢碑 山上碑, 上野三碑 世界の記憶, 上野三碑, 金井沢碑

 群馬の上野三碑が「世界の記憶」に選ばれました。とはいえ、上野三碑についてよく知らないという人も少なくないはずです。今回、群馬県立女子大学教授・群馬学センター副センター長の熊倉浩靖先生が「小学生にもわかる上野三碑」というテーマで、特別講義をしてくださいました。

 

金井沢碑が語ること 地域に暮らす拠り所(よりどころ)となった仏教
 金井沢碑は文字が小さく少し読みにくいかもしれませんが、9行112文字が刻まれています。いくつかの文字や文は読み取れるでしょう。

金井沢碑拓本2【画像】金井沢碑の拓本


 

 1行目の頭3文字は多胡碑の1行目にも見られた「上野(かみつけの)國(国)」ですね。
 「上野(こうずけ)三碑」って言うのに、碑文は「かみつけの」なんて、変ですね。それは、読み方が変わってきているからです。飛鳥時代、群馬県地域は「かみつけの」と呼ばれ「上毛野」という漢字が当てられました。上下を「かみしも」と言いますから納得ですね。ところが、奈良時代に入る頃から地名はできるだけ漢字2文字で表すことになります。その時、読みには「け」の音があるのに、表現からは「毛」の文字が消えました。それで、碑文では上野(かみつけの)國(国)となります。やがて「かみつけ」の音が「かんづけ」→「こうづけ」と変わり、現在では「こうずけ」と読んでいます。


 その下に「君」と「羊」がかすかに見えます。実は「」という一つの文字です。「群」と同じ文字です。正確に言うと「」が本来の文字です。群馬県の紋章にも使われています。

群馬県紋章
 金井沢碑は「羣(群)馬」の文字が最初に出て来る碑です。
 2行目の頭は「三家」で「みやけ」と読みます。山上碑を建てた一族と見られます。山道ですが、山上碑から金井沢碑は歩いて40分くらいです。「石碑(いしぶみ)の路(みち)」と呼ばれ、有名な書家の方々が『万葉集』の群馬県地域に関わる歌などを書いた碑が並んでいます。戦後に信澤克己さんという方が独力で立てて下さいました。こうした努力があって上野三碑は守られました。


 

 碑の中身はと言うと、三家の一族が、ご先祖様のために知識を結んだと書かれています。山上碑同様、日本語で書かれています。建てられた神亀(じんき)三年は726年に当たります。東大寺の大仏ができる26年前です。
 碑文からはいろいろなことが分かりますが、ポイントは5行目・7行目に2回も出て来る「知識(ちしき)を結(むす)ぶ」という言葉にあります。


 「知識」という言葉は、今では、何か物事を知っている、あるいはその内容を指す言葉ですが、当時は仏教信者のことを指しました。
 仏教は単なる教えではありませんでした。お寺を建てる、仏様の像を造る、道を作る、橋を架(か)ける、病気を治すといった技術を持っていました。お坊さんは学者であり、設計士や建築家、土木技師でもありました。医師でもあり、薬剤師、看護師、介護士でもありました。
 ですから、「知識を結ぶ」というのは、仏教を拠(よ)り所として、その技術を活かして様々な社会事業をみんなで進めていこうということです。
 その最初の確実な例が金井沢碑です。ただ碑面からだけでは、どのような仏事や社会事業が行われたのかが分かりません。その謎に皆さんもぜひ挑戦してください。(おわり)

 

●熊倉浩靖教授プロフィール
 群馬県高崎市生まれ。京都大学理学部中退。シンクタンク勤務を経て、群馬学センター設置に伴い副センター長に就任。専門は日本古代史、社会教育、行政評価、地域づくりの多岐にわたる。
 主著「増補版 上野三碑を読む」(2017年・雄山閣)、他に「日本語誕生の時代 上野三碑からのアプローチ」(2014年・雄山閣)「井上房一郎・人と功績」(2011年・みやま文庫)「古代東国の王者 上毛野氏の研究」(2008年・雄山閣)編著に「群馬県謎解き散歩」(2013年・新人物文庫)など。

 

 

熊倉先生の上野三碑について書かれた新刊書「増補版 上野三碑を読む」

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