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【視点】学校組合立の可能性ー利根商の取材を終えて

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【視点】学校組合立の可能性ー利根商の取材を終えて

教育全般

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2017.09.18 
tags:利根商, 利根商業, 学校組合立

 連載「利根商改革の軌跡」が反響を呼んでいる。知人からではあるが、「面白かった」「利根商ってそういう学校だったんだね」という声をいただいた。取材してみて、自分の中での「利根商」観というものは明らかに変わった。豊かな自然に囲まれ、熱意ある先生たちと高校時代を過ごす。寮暮らしも魅力的だ。自分が15歳ならば「みなかみ留学」の選択もありだなと思った。

 今回、取材を終えて、「学校組合立」という見えにくかった形がよく理解できた。そして、その形が実は古いようでいて、とても可能性を秘めた学校形態ではないかと思うに至った。そのあたりについて考えをまとめてみた。

 

 

 学校組合立というスタイルはむしろこれからの学校運営の一つの選択肢ではないか。利根商業高校の取材を終えて、改めてそう感じている。


 「学校組合立」は、人口規模が少ない市町村で学校をつくるための移行措置的な制度だった。いずれは県立や府立に移管することを視野に入れて作られた経緯がある。それゆえ、現存する学校組合立の学校は全国に3校しかない。まさに「絶滅危惧種」の形態だ。


 しかし、利根商を取材して感じたことは、「1つの教育委員会が1つの学校を所管すること」は学校運営上、非常にメリットがあるということだ。
 人口減少の進む地域で、生徒を集め、学校経営を維持しようと考えたら、スピード感のある個性的な改革が求められる。既存の枠にとらわれない発想も必要だ。そういった学校改革を行うために「学校組合立」という形態は、臨機応変な対応ができる点で非常によい。


 近代国家をつくるために明治以降の日本は「中央集権体制」を敷いた国家建設を行ってきた。しかし、高度成長期を迎え、同じ日本国内でも地域によって抱えている問題が多様化した。人口格差、財政格差をはじめとする「地域差」は無視できない状況になってきたのだ。その中で「地方分権」が叫ばれ、地方ごとの特色ある行政が試みられるようになった。


 そして、こうした「地域差」から発生する問題は、実は同一の都道府県の中にも存在する。群馬県でいえば、前橋市、高崎市、太田市といった都市圏と北部地域の町村がかかえる問題は違う。気候・風土や産業構造、人口規模などあらゆる点で異なる。一くくりに「群馬県」といっても、抱えている状況は同一ではない。もはや一律の制度下での学校運営を行っていくことは難しい。


 子供が減れば、学校は必要なくなる。スリム化するために、統廃合をしていく。これは自然の流れだ。そうしなければ、財政を維持できない。ただ統廃合は地域活性化のための根本的な治療法ではない。どちらかといえば対処療法だ。会社経営でいうなれば、「リストラ」だ。もちろん、リストラを進めていくことも否定はしない。止血しなければ、死を招くからだ。とはいえ、地域に根ざした学校がなくなることはその地域を長期的に見た場合、決してプラスには働かない。その地域の若者が通う学校が域外になれば、ますます若者の流出を加速することに拍車をかけてしまう。郷土に対する帰属意識も薄らぐだろう。  利根沼田から渋川へ、渋川から前橋へ、そして東京へ。若者の「南進」は、すなわち地域自体が縮小していくことを意味する。リストラを進めながらも、一方で「攻め」の部分も並行して進めていく視点も必要だ。


 利根商の濱野校長が「持続可能な地域づくりへの貢献」と言っているように、過疎化が進む村落こそ、地域に根ざした学校は必要だ。とはいえ、「学校」を維持していくためには、人がいなくてはいけない。そのためには、生徒が集まるための創意工夫が求められる。利根商はまさにその創意工夫のもと学校改革を断行している最中にある。


 人を呼び込める「磁力」を持つ学校運営をするために、実は「学校組合立」というスタイルは即している。その地域の実情にあわせた弾力的かつスピード感のある改革を可能にするからだ。日本全国に存在する消滅の危機に瀕した学校を救うのは、ガラパゴス化した「学校組合立」ではないかと取材を通して感じた。


 さいごに、外野の勝手な意見を述べさせていただきたい。それは校名変更の提案だ。

 利根商業高校という学校名と現在の利根商の実情はすでにそぐわなくなっている。学校を取材する前のイメージと、実際に見聞した利根商はずいぶん異なる。商業高校で普通科というのも受験する側からすると掴みにくさがあるのは否めない。改革の一つとして校名変更も視野にいれてもいいのではないかと思った。
 名称は地域に根ざしているので、「利根」という名前をなくすのは難しさもあるのだと思う。地元の人たちからしてみれば愛着がある校名だ。ただ全国的にみれば「みなかみ」のほうが知名度が高いように思う。たとえば「みなかみ総合学園」「みなかみ高校」という名称の方が、普通科も実業家もある高校であることを伝えやすいのではないか。

 

 名は体を表す。ネーミングの変更で売り上げを伸ばした商品も、あまたある。中身の改革を断行している今だからこそ、学校名を変更して、学校が変わりつつあることを外部に発信していくのも悪くないように思った。

 

(編集部=峯岸武司)

 

 

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