【学校探訪記】「中央中等教育学校」の研究(2) 学校生活編

「G」は地名の群馬、「C」は校名の中央、「S」は中等教育学校の「Secondary School」で、この3つを基調に、地球がイメージできる親しみやすいものとした。また、中心部の[S]は握手をイメージしており、地球市民としてみんなで協力する大切さを表現した。色は、「G」は緑は大地、「C」は青で空、「S」は赤色で太陽を表している。さらに、GCSには本校の目指す生徒像として次の意味もある。
開校14年。いまや前高・高高の伝統校と肩をならべる実績を出し続けている中央中等教育学校(高崎市)。清水照久校長は「大学受験はあくまで通過点であって、偏差値で大学を選ばせるような指導をしているわけではない」と穏やかな笑顔でこう切り出した。とはいいながらも、4年連続現役合格率は90%を超え、およそ半数が国公立大学に進学する。連載2回目の今回は学校生活にスポットライトを当てた。
■距離を縮める入学直後の宿泊キャンプ
中央中等教育学校は1学年120名、男女60名ずつで構成されている。本来であれば3クラスで編成されるところを4クラスの編成にしている。そのため1つのクラスは30名設定だ。少人数で途中編入がないため、その120名は中1から高3(1年生から6年生)までずっと一緒だ。「(そういう環境なので)みんな仲良しです」と中西教頭は話す。
授業はディスカッションなどの協働型の学習がふんだんに取り入れらている。グループで課題を進める際は、1クラスの30人はさらに細かく分けられて、少人数による指導体制を敷いている。
中央中等教育学校は1学年120名、男女60名ずつで構成されている。本来であれば3クラスで編成されるところを4クラスの編成にしている。そのため1つのクラスは30名設定だ。少人数で途中編入がないため、その120名は中1から高3(1年生から6年生)までずっと一緒だ。「(そういう環境なので)みんな仲良しです」と中西教頭は話す。
授業はディスカッションなどの協働型の学習がふんだんに取り入れらている。グループで課題を進める際は、1クラスの30人はさらに細かく分けられて、少人数による指導体制を敷いている。
【写真】中央中等教育学校の制服
学校所在地が高崎市と前橋市の境目に位置するため、全校生徒の約75%が高崎・前橋市内出身者だ。一方で、残りの25%は全県に及ぶ。吾妻から通学している生徒もいる。中西教頭の話では「館林から通っている生徒もいましたよ」とのことだ。
遠方から来た生徒がなじめないということはないのだろうか。清水校長はこう話す。「入学して2週目くらいに宿泊キャンプをやります。とにかくみんなで一緒にウォークラリーや火おこし、ダンスをやる。こういう活動を通じて、一気に距離が近づきますね」。
【写真】宿泊キャンプで新入生に話をする清水校長(ホームページから引用)
【写真】入学後の宿泊キャンプの様子(ホームページから引用)
■卒業後も続く「120人」の絆
120名で6年間を過ごすということは、人の入れ替わりがほとんどないということでもある。外部の学校との交流が閉ざされがちになってしまうがゆえに「内向きになってしまう面もある」という声も聞く。この意見に対し、「まあ、些末なことですが、部活と文化祭と成人式は課題ですかね」と中西教頭は笑う。
部活動は中体連・高体連が別なので、たとえば野球部であれば同じ学校なのに2つ存在する。中学生は3年の夏で中体連を抜ける。ここから高1(4年生)までの半年間は「空白期間」になる。
「練習に参加することはOKなので、秋口からは高校生と一緒に練習させます。試合などにデビューするのは春からですが…」と中西教頭は説明してくれた。中等教育学校が法整備されながらも、ソフトの面が追いついていない一例と言える。
学校形態が他の中学校や高校とは異なるために、文化祭などは「内向き」な面が顕著に表れる。中学を卒業して様々な高校に進学すると、高校の文化祭に中学時代の友人たちが遊びに来たりする。ところが、中央中等の生徒は小学校を卒業してからずっと同じメンバーなので、文化祭などで他の高校生との交流が少ないのだそうだ。「むしろ家族や親せきなどがお客さんとしてたくさん来ます」。中西教頭は笑いながら、こう教えてくれた。同じようなことは成人式でも起こるという。
裏を返せばそれだけ結束力・連帯意識が強いということでもある。

卒業生の声はそのことを裏付ける。
もうすでに社会人として活躍している塚田寛人さんは「中等を卒業して6年が経ちますが、いまだに同級生との付き合いは続いています」と話す。大学時代には、遠方に進学した友人を仲間で訪ねたり、東京に集合して飲んだりしたこともあったそうだ。「とくに部活動で一緒だった友人とは付き合いが深く、就職活動の際にも互いに情報交換をし、気持ちの面では大きな支えになりました」。
塚田さんは、自宅が太田だったため、通学に時間がかかった。そのため中等時代は友だちと遊びに行く機会はほとんどなかったそうだ。だが、遠方からの通学でも学校にはどっぷり浸かれた。「学校行事や部活動を通して、男女の別なく、本当に良い人間関係を築くことができました」。
学習面でも、同級生の存在は大きな励みになったそうだ。
「国立大2次試験の日も、『受験は団体戦だ』という先生たちの言葉を思い出し、いまごろみんなも頑張っているんだ、みんなが応援してくれてここまで来たんだから頑張ろう、と全力を出すことができました」と受験生の頃を述懐する。
6年間同じ釜の飯を食べた120名の仲間は、卒業後も固い絆で結ばれている。
(編集部=峯岸武司)
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