【特集】利根商改革の軌跡(2)ー決断
利根沼田学校組合立利根商業高校(みなかみ町)はこの地域の住民の切なる願いにより昭和33年に誕生し、来年度には創立60周年を迎える伝統校だ。そして、この節目の年に、利根商業は新たなステージに向けて舵を切り始めた。この連載では同校の改革にスポットライトを当て、利根商のいまを報告する。今回は2回目。
| 人口減少に加えて流出の動き
利根商業が生徒を集める中で、もう一つ大きなが壁があった。それは何か。
「それは、利根沼田地区の中学生は都市部の高校に行きたがるという傾向があることですね」と濱野校長は話す。
もちろん都市部に行きたがる傾向はどの地域にも存在する。しかし、公立高校の教員を長年務めた濱野校長によれば「(他地域に比べて)その傾向が特に強い」という実感を持っている。
そのことを裏付けるデータがある。
■利根沼田地区・渋川地区の志願率の比較
(作成:利根商業高校)
表は利根沼田地区の15歳人口と利根沼田公立5校(沼田高校、沼田女子高校、利根実業、尾瀬高校、利根商業)の定員の合計、その志願者数を示した表だ。それを渋川地区との比較で示している。データは利根商業が作成したものだ。
「671名という数字は、公立高校の前期選抜が終わって、利根沼田5校が合格させた人数に、後期選抜で同地区5校を志願した人数を足したものです」(濱野校長)。
この数字を算出した意図は、利根沼田地区の5校に来たがっている生徒数を把握するためだ。したがって、実際に入学した人数は再募集で入学した生徒がいるので、もっと多い。ただ、再募集で入学するということは、仕方なく入学してきた可能性が高い。
表中の志願率はその地区の15歳人口に対して、その地区の高校を志願している生徒の率だ。当然ながら、志願者数が多ければこの数字は大きくなる。利根沼田地区はこの2年で数字は若干改善されているものの、100%に達していない。
一方、渋川地区は760名の定員に対して826名の志願者がいる。このことは何を意味するのか。濱野校長はこう分析する。
「これは利根沼田地区もしくは吾妻地区から渋川地区に生徒が向かっているということだと思います」
それでも、平成29年度は少し改善された。「利根沼田地区の高校が地元の中学生から信頼を回復してきている証なのかもしれません。少しずつですが、いい傾向は出てきていると思っています」(濱野校長)。とはいえ、利根沼田からは生徒が流出し、渋川地区は他地区から流入してくるという大きな流れを止めるまでには至っていない。
この流れを変えていくことが「利根商改革」のミッションの一つでもある。実際、生徒数の推移でみると、20年ぶりに生徒が増加に転じた。少しずつであるが改革の成果は芽吹きつつある。
| 「組合立」を武器に変えて~攻勢に転じる「決断」
人口減が続き、苦戦を強いられる中、利根商は大きな決断をした。
平成26年4月、現在の利根沼田学校組合の教育長は「われわれは県立への移管の道は選ばず、組合立で行く。その特色をいかした学校経営をしていく」と宣言。この選択に舵を切った理由は「組合立でなければ改革ができないからだ」と濱野校長は語気を強める。県立になれば統廃合の波にのまれる可能性もある。組合内で侃々諤々の議論の末、出した結論だった。
人口減少・外部流出という大きな流れをただ見ているだけでは何も変わらない。やれることはすべてやっていく。学校改革を断行して攻勢に転じる。これが利根商の選んだ道だ。
では、利根商の考える改革とは何か。柱は2本ある。
その一本が、魅力のある学科やコースをつくるということ。そして、もう一つの柱が部活動で少しやりすぎといわれるくらい活性化させていくということだ。
たとえば、学科やコースを新しく創設することも、プロの指導者を呼んできて部活の指導強化を行うことも、県立高校では実現が難しい。こういうことをスピード感をもって取り組めるのは私立高校くらいだろう。ところが、それが組合立の形態なら実現することができる。
学校規模が先細りする中で、生徒が集まる魅力のある学校づくりに向けて、大きな賭けに出た。
次回以降、2本の柱を中心に利根商改革の具体的取り組み事例を紹介していく。(つづく)
(編集部=峯岸武司)