群馬の高校生が音楽事務所の社長になるまで―音楽事務所クラウドナイン代表・千木良卓也さん講演 桐生商業「第2回 S.P.A.R.K. for our well-being!講演会」(前編)
桐生市立商業高校(星野亨校長)は11月28日、美喜仁桐生文化会館で音楽事務所クラウドナイン代表の千木良卓也(ちぎら・たくや)さんを招き、「第2回 S.P.A.R.K. for our well-being!講演会」を開いた。Adoをメジャーデビューに導いた敏腕プロデューサーは前橋商業高校出身の“サッカーに明け暮れたフツーの高校生”。波乱の人生を自ら語った講演に、生徒約700人が聞き入った。(前後編 2回中の1)
■千木良さんは星野校長の前商時代の教え子 生徒たちの役に立てばと企画
11月28日午後1時。桐生文化会館のシルクホールの舞台裏で、音楽事務所クラウドナイン代表の千木良卓也さんは、開演30分前の最後の打ち合わせに臨んでいた。相手は桐生市立商業高校の星野亨校長。千木良さんが前橋商業高校1年生だった時の担任でもある。
クラウドナインは2019年創業の新興芸能事務所で、Adoをメジャーデビューへ導いた実績を持つ。今、業界内で注目を集める存在だ。
「何を話せばいいんすかね」ー開演直前の舞台裏で、千木良さんは照れくさそうに笑った。
今年から桐商が進めている独自の教育ビジョン「S.P.A.R.K. for our well-being!」は生徒一人ひとりが自ら考え、行動し、社会に能動的に関わる非認知能力の育成を重視した取り組みだ。芸能界の第一線で活躍し、かつ同じ商業高校出身という千木良さんの存在は、生徒たちのロールモデルになると星野校長は考え、講演を依頼したという。その星野校長の思いに教え子の千木良さんは快く応じた。
千木良さんと星野校長のやり取りは7月から継続的に行われてきた。その中で、「エージェンシー(主体性)」「レジリエンス(忍耐力)」「アントレプレナーシップ(起業精神)」について触れてほしいと校長はお願いしてきた。講演が自分の将来を描けない高校生に向けてのメッセージになればと企画した。
講演のテーマは「群馬の高校生が音楽事務所の代表になるまで」。ラフな服装でステージに登場した千木良さんは、まず自身の原点である高校サッカーの話から語り始めた。

【写真】講演をする音楽事務所クラウドナイン代表の千木良卓也さん(桐生文化会館のシルクホールで)
■最後まで残った経験がくれた、揺るがない自信 前商サッカー部時代
千木良さんは1984年生まれ。小学生の頃からクラブチームでサッカーに打ち込み、通学していた大胡中学でも部活ざんまいの日々を過ごした。進路を考えた中学3年の時、「サッカーを続けたい」という理由で強豪校の一つだった前橋商業高校への進学を決めたという。当時は“昔気質”の指導色が根強い時代。サッカー強豪校の練習環境は苛烈だった。
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朝6時に登校して朝練、授業後は夜遅くまで続く練習。中央前橋駅まで猛ダッシュして上電(上毛電鉄線)に飛び乗る毎日だった。「辞めたい」と思う瞬間も何度もあったという。実際、途中で辞めていく部員も少なくなかった。「その中で最後まで残ったことは自信につながった」と千木良さんは振り返る。
過酷な部活動だったが勉学も両立させた。情報処理科では簿記や情報処理の資格も取得した。
「ちょうど皆さんと同じ年齢ぐらいの時、自分が何したいとかまったくなくて、サッカー部にはいたけど、サッカー選手になろうとも思ってなかったし、やりたい職業もまったくなかったなぁ」と率直に当時の状況を打ち明けた。
楽でお金いっぱいもらえて褒められるやつ。そんな職業観だったから、高校卒業して就職という考えには至らなかったという。いったんは進学しようと東洋大学に入学した。
進学への強い思いがあったわけではなかったが、勉強にも部活にも手を抜かなかったことが千木良さんを進学へと導いた。
しかし、大学4年の就職活動でも将来像は描けなかった。「とりあえず大手企業に」と、美容系商社の大手に就職した。「人生の夢を決めるのは本当に難しい。何も決まっていないからこそ、可能性につながることをやっておくべき」と高校生たちに助言した。
■順調なキャリアを捨て 独立を決意
美容商社での仕事は順調だった。営業成績は部署トップクラスで待遇も十分。しかし20代半ばで「この先40年のサラリーマン人生が想像できてしまった」とふと思い立ち、独立へ気持ちが傾き始める。
「失敗してもいいから刺激的な何かに挑戦したかった」。そうして西麻布に岩盤浴エステを開業した。
最初は順調な滑り出しだったが、次第に経営は悪化。倒産前に撤退したものの借金だけが残り、「仕事もお金もない状態」で30歳まで約1年のニート生活に入った。

■「どん底」を経験 「そこまで落ちても人生は戻れる」
千木良さんは当時の話を語る際、一瞬ためらったが、当時の“どん底生活”を語り始めた。
音楽事務所社長という煌(きら)びやかな「今」だけを語るより、どん底の中でもがき、生きることをあきらめなかった闇の部分を見せた方が彼らに何かを残すことができる。そう感じたのかもしれない。
実際、今でこそ笑い話になるエピソードは当時の千木良さんからすれば笑えない日常だった。
毎朝4時に起き、顔見知りのクラブや飲み屋の店長に「忘れ物のタバコ全部ください」と頼み込み、店員に「朝飯おごって」とたかり、朝食後は次の日の朝まで“省エネ”のため動かない。そんな生活が1年続いたという。
「かなりヤバいけど、そこまで落ちても人生は戻れる。気合があれば立て直せる」と生徒へ語りかける言葉には、経験に裏打ちされた重みがあった。
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転機は30歳。美容業界の知人を介し、GReeeeNやmisonoのマネージャーを務めていた人物を紹介された。「今、マネージャーを探している。千木良、無職でしょ?やる?」と声をかけられ、半ば勢いで面接へ。
数曲しか知らなかったGReeeeNが“4人組”であることを知ったのは、採用が決まった後のことだった。
【つづく】
(編集部)
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