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群馬の高校生が音楽事務所の社長になるまで―音楽事務所クラウドナイン代表・千木良卓也さん講演 桐生商業「第2回 S.P.A.R.K. for our well-being!講演会」(後編)

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群馬の高校生が音楽事務所の社長になるまで―音楽事務所クラウドナイン代表・千木良卓也さん講演 桐生商業「第2回 S.P.A.R.K. for our well-being!講演会」(後編)

教育全般

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2025.12.22 
tags:Ado 事務所, GReeeeN, S.P.A.R.K. for our well-being!, SAH, 千木良卓也, 千木良卓也 クラウドナイン, 桐商 スパーク, 桐生商業, 桐生市立商業高校, 非認知能力

 桐生市立商業高校(星野亨校長)は11月28日、美喜仁桐生文化会館で音楽事務所クラウドナイン代表の千木良卓也(ちぎら・たくや)さんを招き、「第2回 S.P.A.R.K. for our well-being!講演会」を開いた。Adoをメジャーデビューに導いた敏腕プロデューサーは前橋商業高校出身の“サッカーに明け暮れたフツーの高校生”。波乱の人生を自ら語った講演に、生徒約700人が聞き入った。(前後編 2回中の2 最終回)

 

GReeeeNマネージャーから独立し音楽事務所を設立


 GReeeeNが所属していたのは、メンバーHIDE氏の実兄が社長を務める小規模な個人事務所だった。千木良さんは少人数ゆえに、制作現場やプロデュースの最前線に深く関わることになる。

 2017年、GReeeeNデビュー10周年。「映画をつくろう」という話が持ち上がる。

 松坂桃李さんに依頼した際、事務所が紹介してくれたのが菅田将暉さんで当時は駆け出し。複数の事務所に打診し横浜流星さん、成田凌さん、杉野遥亮さんら、後に大ブレイクする新人俳優が集まった。

 こうして完成した映画『キセキ ―あの日のソビト―』は、千木良さんにとって大きな成功体験となった。

 その後、34歳でGReeeeNのマネージャーを退任した。講演では語られなかった独立の理由について、ウェブメディア「REAL SOUND」(2024年12月配信)のインタビューでは次のように語っている。

GReeeeNをマネジメントしていた時、ちょうど彼らが10周年を迎えたタイミングで、さいたまスーパーアリーナでライブがあったんですよ。私、そのライブで、彼らはもちろん、ファンやスタッフの姿を見て号泣して。仕事で泣くことも初めてでしたし、もしかしたら10年以上泣いてなかったなと思うくらい感動したんです。そういうプラスの理由で泣ける仕事って、当時は音楽、芸能の仕事以外で思い浮かばなかったんですよね。「独立して、自分の事務所のアーティストで、さいたまスーパーアリーナに行きたい」という思いがあった(記事引用)

 「年間で何十曲も(GReeeeNの曲を)聴きましたね」。四六時中「頑張れ」「諦めない」「愛してる」といったGReeeeNのメッセージを浴び続けた結果、「本当に何でもできるような気がしてきた」と笑う。

 このGReeeeNの歌詞は独立した彼の大きな精神的支柱になったと振り返る。

 

 

Adoとの出会い


 とはいえ、退職直後の現実は厳しかった。資金はなく、消費者金融の小口融資で100万円をかき集めて創業。給料を出せば半年で潰れる状況での“ゼロスタート”だった。
 アーティストもゼロ。SNSを片っ端からチェックし、地方にも足を運んで声をかけたが、名刺も住所もない事務所に若者たちは警戒した。

【画像】千木良さんが運営する音楽事務所「クラウドナイン」のウェブサイト

 それでも行動を続け、創業から半年で6人が所属を決めた。しかし楽曲制作には資金がかかり、100万円はすぐに底をついた。千木良さんはUber Eatsの配達で生計を立て、アーティストたちも協力し合った。「誰か一人でも売れればみんなが救われる」という連帯感があったという。

 所属していた6人も積極的に人材を紹介した。「この子よさそうですよ」「歌がすごくうまかった」という動画やアカウント情報が次々と千木良さんのもとに届いた。その中に、目を引く存在があった。「歌は少し粗い。でも声質が圧倒的にいい。覚えやすい声だと思った」。Adoとの出会いはこうして始まった。 

 当時、事務所は千木良さんの自宅だった。グッズ倉庫も借りられず、在庫が天井まで積み上がる狭い部屋。その最中(さなか)の2019年12月に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、2020年3月にはライブ活動が全面停止した。

 「売る場所が一気になくなった」。収入が途絶えた中、数人のアーティストから「給料はいりません」「貯金を使ってください」「印税を事務所へ入れて構いません」と申し出があった。「クラウドナインは必ず大きくなる」と励まし合い、事務所はなんとか継続した。

 Adoには「高校卒業までにライブがしたい」という願いがあったが、コロナ禍で叶わない。「じゃあ何をする?」と問うと「メジャーデビューしたい」と返ってきた。

 千木良はすぐさまレコード会社を回った。しかし当時はまだ“歌い手文化”が浸透しておらず、顔を出さずに活動するスタイルも理解されなかった。「宣伝活動はどうするのか」「インスト音源をネットにばらまきたいと言われても権利上困る」と、多くのレーベルから断られ続けた。それでも諦めず動き続けたところ、ユニバーサルミュージックの担当者が千木良さんの気持ちに応え、契約が成立した。Adoが17歳の2020年6月のことだった。

 

 デビューまで準備期間は4カ月。楽曲制作は急ピッチで進められ、syudou、くじらなど勢いのある若手ボカロPに依頼し、10曲ほどの候補を集めた。「その中からデビュー曲「うっせぇわ」が選ばれた。

 その後の同曲の大ヒットは周知の通りだが、裏側は困難の連続だった。世間の賛否は大きく、SNSには誹謗中傷も流れた。
 また印税が振り込まれるのは半年以上先で、千木良さんはUber配達を続けながらメディア対応に追われ、ほとんど眠れなかったという。「ここで取りこぼしたら一発屋で終わる」という危機感だけを頼りに走り抜いた。「前商サッカー部だったから耐えられた」と高校時代の部活動が支えになったと振り返った。

 状況が大きく変わったのは「踊」のリリースを控えた頃だった。初めて社員を雇うことができ、所属1人だったスタッフが2人に増えた。事務所はようやく“体制”と言える形を持ち始め、事務所として軌道に乗り始めた。

 

すごい人でも私たちとスタートラインは同じ 


 講演の後の質疑応答の場面で、約700人の全校生徒が集まる中、多くの桐商生が挙手し質問を投げかけた。その一つ一つに千木良さんは丁寧に答えた。「〇〇っていいます。名前覚えておいてください」。質問の最後に自分を売り込む子も多くいた。それは何より千木良さんの言葉が彼らの心に響いた証でもあった。

 

【写真】生徒会から記念品が贈呈される

 

【写真】講演会後、千木良さんと星野校長と生徒会のメンバーで講演を振り返る

 

 全日制生徒会長の茂木愛寿さん(2年生)は「波瀾万丈な人生だなって思ったんですけど。失敗してもそこから上り詰めていく行動力に驚きました。そのチャンスをちゃんと掴んで、自分の人生の糧にする力はすごいです。でも、そんなすごい人でも私たちとスタートラインは同じなんだと思うと自信をもらえました」と話した。

 

 講演会は一方通行ではなく、時折、700人の生徒に向かって質問を投げかける場面もあった。「こんな話じゃ飽きちゃったでしょ」。こんな言葉をさしはさみながら、緩い感じで千木良さんは進行した。「何話そう?」とアドリブで講演しているような自然体な雰囲気は、本当に即興なのか、ち密に計算された演出なのかは分からなかった。ただ、その空気感が10代の若者に届くスタイルだったのは間違いない。

 講演会後、星野校長は満足そうにこう語った。「社長は私のオーダーを見事にすべてを講演に入れてくれました」。

 

 

(編集部)

 

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編集部より 記事は配信日時点での情報です。

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