【熊倉先生・特別寄稿】小学生にもわかる上野(こうずけ)三碑❷ 山上碑が語ること
群馬の上野三碑が「世界の記憶」に選ばれました。とはいえ、上野三碑についてよく知らないという人も少なくないはずです。今回、群馬県立女子大学教授・群馬学センター副センター長の熊倉浩靖先生が「小学生にもわかる上野三碑」というテーマで、特別講義をしてくださいました。
| 山上碑ー最古の日本語碑に刻まれた母への感謝
山上碑ーー。「山上」と書いて「やまのうえ」と読みます。
現地に伺うと、駐車場から歩いて160段くらいある石段を上ります。登りきると、右手に古墳、左手に覆い屋に入った山上碑があります。スイッチを押すと明かりがつきますが、文字を拾うには少し大変かもしれません。でも、安心してください。覆い屋の正面に碑の文字が写し取られています。
山上碑は681年に建てられました。1300年以上も前のことです。完全な形で残っている日本最古の石碑です。そんな古い碑と言うと、読めないに違いないと思うでしょう。
ところが、全く違うのです。多少の説明は必要ですが、みんなにも読めます。山上碑を紙に写し取った拓本というものを見てみましょう。
4行53文字が刻まれています。全ての文字もほぼ読めるでしょうが、山上碑のポイントである4行目の頭9文字だけでも一緒に読んでみましょう。目をこらして4行目を見て下さい。
【写真】拓本
山上碑は縦書きですが、横書きで文字を拾ってみましょう。5文字目の「為」と最後の「也」は習っていない人が多いかもしれませんね。7文字目の「定」も字の形が少し違っていますが、それを頭に入れて拾えば、
と文字が並んでいることが分かりますね。
ちょっとびっくりでしょう。1300年も前の文字です。それが読めるということは、1300年間同じ文字を使い続けているということです。
これ、日本の特質です。
エジプトの一般の人はピラミッド時代の文字を読めません。漢字を生んだ中国でも現在の漢字の形は1300年前の漢字とはずいぶん違っています。韓国も今はほとんどハングルです。私たち自身が世界の記憶と言ってよいかもしれません。
読みも「(長利僧[ちょうりのほうし]が)母の為に記し定むる文也」と、頭から日本語で読めます。
しかも、そこに書かれていたのは、自分を育ててくれた母への感謝でした。母への感謝から碑が書かれ始め、それも日本語で書き始められていたなんて、素敵なことですね。
私たちは、固有の文字を持っていませんでした。隣には文字の超大国・中国がありました。中国から文字も文も導入するしかありませんでした。受け入れた漢字・漢文を工夫して、自らの言葉・日本語(やまとことば)を表す文字とした努力が伝わります。そうした営みの証を地域の先人が大切に守ってきたからこそ、山上碑は、地上にありながらも良好な状況で保存されてきました。先人たちに感謝です。
この心を大切にして、「世界の記憶」にふさわしい読みつなぎを続けたいものです。
●熊倉浩靖教授プロフィール
群馬県高崎市生まれ。京都大学理学部中退。シンクタンク勤務を経て、群馬学センター設置に伴い副センター長に就任。専門は日本古代史、社会教育、行政評価、地域づくりの多岐にわたる。
主著「増補版 上野三碑を読む」(2017年・雄山閣)、他に「日本語誕生の時代 上野三碑からのアプローチ」(2014年・雄山閣)「井上房一郎・人と功績」(2011年・みやま文庫)「古代東国の王者 上毛野氏の研究」(2008年・雄山閣)編著に「群馬県謎解き散歩」(2013年・新人物文庫)など。
熊倉先生の上野三碑について書かれた新刊書「増補版 上野三碑を読む」