【紙上教育論】じつは残酷な「ほめ育て」社会
厳しい指導が影を潜め、「ほめる教育」が推奨されるようになって久しい現代。しかし、その優しさの裏で、自力で壁を乗り越える力を育めないまま社会に送り出される若者たちの姿が見えてきます。今、教育現場と家庭で何が起きているのか。著書『じつは残酷な「ほめ育て社会」』でも話題の榎本博明先生からご寄稿をいただきました。(本記事はタブロイド判「みんなの学校新聞」(26年7月号)に掲載されたものです)
■「ほめ育て社会」の先にあるもの
ほめて育てる社会になって久しい。かつては保護者が学校の先生に「うちの子をビシバシ鍛えてやってください」などとお願いをしたものだったが、今は学校の先生がちょっと厳しいことを言っただけで、「ほめて育てる時代に厳しいことを言うとは、いったいどういうつもりですか! うちの子は先生が怖いって言ってます」と保護者が学校にクレームをつけたりする。そんな時代ゆえに、こんなふうに甘やかしていたら厳しい社会の荒波を乗り越えていく力がつかず将来本人が困るはずと思っても、先生は子どもたちを鍛えてあげるという教育的使命を棚上げして、やさしく接するしかない。そうでないと身を守れない。
このような学校生活を経て社会人になるため、就職してから行き詰まる若者も少なくない。遅刻しても学校では叱られなかったから、遅刻で取引先が激怒したのにビックリした。親にも先生にも叱られたことがなかったので、会社の上司に叱られショックを受けて、立ち直れない、心が折れそう。ほめてもらえないとやる気が出ないのに、上司も先輩も学校の先生みたいにほめてくれないからやる気になれないし、こんな毎日が苦痛でしようがない。そんな声も聞こえてくる。
一方、会社の側も、ほめて育てられた若手従業員はちょっとしたことで傷つきやすく、ひどく落ち込んだり、パワハラだと騒ぎ立てたりするため、けっして厳しいことを言わず、やさしく接するように気をつかうようになった。これでは戦力になるように育てることができないと多くの経営者や管理職が嘆く。だが、ここにきて、若手従業員の側からも、こんなゆるい職場では鍛えてもらえず成長できないといった不安の声が聞かれるようになってきた。やっと気づく若者が出てきたかと、少し安堵(あんど)した。
■日本と欧米では文化的な背景がちがう
ほめて育てるというやり方が1990年代に日本で広まりだした頃、よく耳にしたのが、アメリカの親も教師もよくほめる、日本も見習わないと、というようなセリフだ。だが、欧米のような厳しい社会でほめるのと日本のようなやさしい社会でほめるのとでは、その効果はまったく異なる。
欧米では学力が基準に満たなければ小学校低学年でも留年させられるが、日本では高校や大学でさえも温情で進級させたりする。欧米では成果を出せず力不足とみなされたら即解雇されるが、日本では成果が出せなくてもクビになったりしない。ほめるけれどもすぐに切り捨てる、ほめないけれども温かく見守る、そうした文化的背景を考慮せずにほめて育てる方式に転換したのが問題なのである。
■ほめて育てる子育ては「やさしい」のか?
今ここで社会の空気を換えないと、日本の子どもたちは将来大いに困ることになる。厳しいことを言って気まずくなるより、ほめてやって笑顔の交流をしている方が、親も先生もラクである。厳しいことを言われるよりも、ほめてもらえる方が、子どももうれしい。そんなことからほめて育てる方式は瞬く間に世間に広まっていったが、それによって子どもたちの心は鍛えられず、ちょっとしたことで傷つきやすくなり、逆境に立ち向かう力が失われつつあるのではないか。そんな思いから先ごろ世に出したのが『じつは残酷な「ほめ育て社会」』(日経プレミアシリーズ)である。
ほめて育てる社会が残酷だなんて意味がわからない。そのように思う人もいるかもしれない。ほめられれば嬉しいし、厳しいことを言われるよりずっと気持ちいいだろうに、なぜ残酷なのか、と。
でも、ちょっと考えてみてほしい。勉強でも芸術でもスポーツでも、かつては先生もコーチも厳しく指導してくれたから、つい怠け心に負けてしまうような凡人でも力をつけることができた。しかし、今のようなほめ育て社会では、そのような凡人は力をつけることができないまま取り残されてしまう。厳しいことは言われず、ほめたりやさしい言葉をかけられたりして、いい気分にしてもらえるかもしれないが、力がつかず、心は折れやすく、成長していけない。これが果たしてやさしい社会だろうか。厳しい対応をしてもらえないことによって、かえって厳しい状況に放置されているのだ。
■モチベーションの高低は人それぞれ
ほめ育て社会では、もともとチベーションが高く、自分に厳しい子なら、何の悪影響も受けずに伸びていくだろうが、もともとモチベーションがあまり高くなく、自分に甘い子の場合は、自分を成長へと駆り立てる力が内側から湧いてこないため、停滞し、伸び悩むことになってしまう。かつてなら、そのような子も周囲から厳しく駆り立てられ、必死に頑張らざるを得なかったのだが、今ではそのような周囲からの圧力は期待できない。そうした時代の問題を感じている先生も、厳しいことを言って傷つけてはいけない、ほめないといけないという時代の空気に逆らってまで子どもたちに圧力をかけることはしにくい。
こうしてみると、ほめ育て社会が残酷だという意味がわかるだろう。もともとやる気に満ちていたり、能力が高かったりすれば問題ないが、凡人にとっては非常に残酷な社会になっているのである。そろそろそのことに気づき、保護者と先生が力を合わせて時代の空気を換えていく必要があるのではないか。
(本紙のための書きおろし)

榎本 博明
心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学卒。 東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、現在 MP 人間科学研究所代表。著書に『自己肯定感は高くないとダメなのか』(ちくまプリマー新書)『勉強ができる子は何が違うのか』(ちくまプリマー新書)『伸びる子どもは〇〇がすごい』(日経プレミアシリーズ)など多数。
著作紹介

『自己肯定感は高くないとダメなのか』(ちくまプリマー新書)

『伸びる子どもは◯◯がすごい』(日経プレミアシリーズ)

『勉強ができる子は何が違うのか』(ちくまプリマー新書)

『じつは残酷なほめ育て社会』(日経プレミアシリーズ)
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