伝統ある共愛バザーの歩み(1)
共愛学園のバザーは同校の恒例行事で、その歴史は長い。今年の開催は9月30日(土)と10月1日(日)の2日間だ。このバザーがどんなきっかけで始まり今に至ったか。歴史をたどってみる。
共愛学園のバザーの歴史は古く、大正時代まで遡ります。大正の初めの頃、文学会という催し物がありました。その中に新しい要素として付け加わったものだったのです。当時の生徒たちの多くは寮生でした。彼女たちが暇を見つけては製作した品物を持ち寄り、一同に陳列して見せ合いました。それをささやかな小遣いで買い合って、このお金を学校に寄付をするということが始まったのです。
当時、校地拡大が問題となっていました。そして、新築講堂の建築資金が700円ばかり不足していたので、それに対する寄付を目的にバザーを開催したのが初めでした。大正8年11月8日に新講堂の落成式があり、その午後に最初のバザーが開かれました。以降、大正11年までこのような形で続きました。
この大正11年からはバザーは広く一般に公開される形となりました。こうして始まった本格的なバザーは、共愛名物のドーナツ、コーヒーショップの名の下に全県下に知られるようになっていきました。その後、多少の紆余曲折を経ながらも、昭和15年、第二次世界大戦勃発によって中止されるまで続きました。そして、終戦間近の昭和20年8月5日、前橋空襲によって共愛学園は灰燼に帰したのでした。
戦災でほとんど失った学園の復興に立ち上がった人々は早くも昭和20年11月17日には復興バザーを開きました。その戦後の混乱の中で会場の共愛館2階には窓ガラスさえ破れて一枚もない状態でした。そんな状況の中でのバザー。主なお客はアメリカ進駐軍兵士であったとも言われています。それは、共愛学園がキリスト教主義であり、聖歌隊が米軍キャンプに行き奉仕をしていたためでもあったようです。
このときの収益が共愛再建の貴重な財源となったそうです。この再建にはたくさんの困難な問題がありました。従来にも増して、卒業生、教会、そして何よりも生徒の家庭の理解と協力と援助が必要となっていました。(つづく)
過去に開催された共愛バザーの様子を写真で振り返ります。
今年の共愛バザーのご案内
共愛バザーは、長い歴史を持った共愛学園中学高等学校の一大イベ
(共愛学園 広報)