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公立高校共学化への足跡ー20年の歴史を紐解く(上)

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公立高校共学化への足跡ー20年の歴史を紐解く(上)

教育全般

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2022.05.03 
tags:ぐんま公立高校男女共学を実現する会, 群馬 公立 共学化, 群馬 男女別学, 群馬県教育委員会

群馬県内における公立高校の男女別学化運動の歴史を「ぐんま公立高校男女共学を実現する会」代表の坂本祐子氏に話を聞いた。

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 群馬県の公立高校の男女別学校は12校あり、2022年の時点で公立高校の別学率の割合は全国1位だ。

 そんな中、県教委は「高校教育改革推進計画」の中にSDGsの観点から男女共学化の推進を掲げ、今後、共学化を進めていく方針を示している。

 山本知事は共学化について「一律に一気に共学化してしまうといった乱暴で強引なやり方ではなくて、大きな時代の流れを踏まえつつも、地域の実情も考えながら進めていくという方向性」であると強調した上で、「(ジェンダーの平等など)世界的な動きを見ても、大きな流れとしては共学化に行くんだと思います」と本紙の取材で語った。

ここ数年になってようやく議論され始めたかのような印象を持つ「共学化」だが、歴史を紐解くと本県の共学化に向けた歴史は実は短くない。

 群馬県内における公立高校の男女別学化運動の歴史を「ぐんま公立高校男女共学を実現する会」代表の坂本祐子氏に話を聞いた。

 

すでに90年代から動きがあった共学化の議論

 1994年11月、「高校教育のあり方に関する県民意識調査」を県教委が実施した。その結果によると、男女共学化は生徒で約7割、その他の対象者で約8割の賛成を得ていることが報告されている。

 この結果を踏まえた上で、翌95年3月、群馬県後期中等教育審議委員会は「新しい時代に対応する本県高等学校教育の改革について」という報告書を県教委教育長あてに提出している。

 この報告書によると「近年の社会状況に適切に対応するという観点からも、本県の男女別学の現状は、見直しを求められている」と指摘、「すべての公立高校を例外なく男女共学とする方向で改革を進めることが適当である」と提言した。時代はジェンダー平等の議論が盛り上がり、男女共同参画社会実現に向けた機運が高まっていた頃だ。

 

「公立高校男女共学を実現する会」が発足

 そんな中、尾瀬に隣接する新潟・福島・群馬の3県の人たちが男女共同参画社会の実現をめざして交流する「3県女性サミット」が1998年に新潟で初めて開催された。男女共同参画社会基本法が施行される1年前のことだ。そして、その2回目が99年9月に群馬で開かれることになった。

 96年3月に発足した「ジェンダーを考える会」の高橋久仁子さん(当時・群馬大学教員)のもとにも参加の案内が届いた。会ではサミットの参加を決め、「ジェンダーフリーで未来が見えるー男女混合名簿のすすめー」「女子高ってサイコー? ―群馬県男女別学事情―」という2つのワークショップを企画した。

 男女別学をテーマの一つに据えたきっかけは、別学の多かった福島県で男女共学化を推進する動きがあったことだ。当時、福島県だけでなく、別学率の高い東北などで共学化を進める動きが活発化していた。

 こうして9月に開かれたサミットのワークショップは盛会におわり、「別学問題に対する関心の高さや共学化を求める県民の声が決して小さいものではない手応えを感じた」(群馬評論 第84号 2000年10月)と高橋さんは述懐している。

 

 高橋さんらのメンバーは、福島県の事例を学習する中で、共学化運動を進めていくためにはそれなりの組織を整える必要性を感じていた。そこで専門家などに意見を聞きながら組織体制の整備をすすめ、2000年1月22日に「公立高校男女共学を実現する会」(現・ぐんま公立高校男女共学を実現する会)を発足させることになる。高橋さんは初代の代表に就任した。

「昔は学校の教員の間でも別学校を共学化することに対する理解が得にくい雰囲気があった」。当時をこう振り返るのは、元教員で同会の副代表を務める濱田光恵さん。

 発足当初は「(群馬出身でない)よそ者が何をいうか」といった中傷などもあったそうだ。伝統のある別学校を共学化することに対する抵抗感は現在よりも強かった。

 

 そして「公立高校男女共学を実現する会」が産声を上げた前日にあたる2000年1月21日、県教委にも大きな動きがあった。

(つづく)

 

(編集部=峯岸武司)

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