【寄稿】公立男女別学校は「選択肢」なのか?(ぐんま公立高校男女共学を実現する会)
群馬県で生まれ育った私にとって公立高校が男女別学校だということは、特に疑問に感じない「普通」のことでした。私も太田女子高校出身で、高校時代を思い返すと、とても充実した青春期ならではの楽しい思い出が多く、高校時代の友人は今でもかけがえのない友人です。
現在私は、大学で教壇に立っていますが、他県から進学してきた学生は、「群馬県出身の子は、県立高校なのになぜ〇〇女子高校出身というのだろう、と最初はとても不思議に思った」、「前橋高校が男子校だと知った時は心底驚いた」と言います。また、地元新聞社である上毛新聞にオピニオン委員としてこの問題を提議した際には、他県から引っ越してきた方からも多くの反響をいただきました。「群馬県に来て一番驚いたことは、子どもの学校の名簿が男女別で、さらに公立高校が男女別学校だと知った時だ」と。
群馬県民にとって「普通」と感じる公立高校の男女別学校は、全国的にみると全く「普通」ではなく、非常に珍しい存在です。未だに公立高校が男女別学校になっている割合が高いのは、群馬県、栃木県、埼玉県の三県です。しかし、なぜそれを問題とするのか、公立高校の男女別学校が存在しても良いではないかと感じる方も群馬県には多いかもしれません。男女別学校を卒業したOB・OGは、「私は別学で楽しかった」と当時の思い出を語ったり、「別学校、共学校ともに選択肢があるのだから問題ない」、「別学校には別学校のメリットがある」と話したりします。
しかしながら、公立高校において、「性別」を理由に受験・入学の資格を与えないことは、人権にかかわり、社会的公正さを欠きます。税金の使い道という視点や、多様性を認めあう力が必要とされるジェンダー平等社会の実現を目指す観点からも問題です。そもそも人の性別は「女」、「男」と単純に二分できるものでもありません。社会全体において性的少数者への配慮が強く求められる現在、公立高校の入学願書の「性別欄」を撤廃する動きも全国的に加速し、群馬県でも入学願書に性別欄はなくなりました。
つまり、「自分は楽しかったから良い」という個人的な気持ちではなく、「社会的に公正な制度なのか」という視点が大切だと思っています。また、共学校、別学校という選択肢があるように見えますが、別学校は進学校にのみ偏在しているので、トップレベルの中学生に共学校という選択肢はないのです。公正でない制度を認めることは、決して多様性を認めることにはつながりません。「公正でない制度を選択肢の一つにしてはいけない」というのが当会の主張です。
群馬県では、2021年3月に第二期群馬県高校教育改革推進計画が発表されました。その中で「男女共学の推進」が明記され、基本的な考え方として「男女が共に学ぶことの意義や、性差による制限のない学校選択の保障という観点に加え、性同一性障害や性的指向・性自認に係る生徒への対応の必要性などからも、男女共学化を推進していく必要があります。(中略)県民の理解を得ながら、今後の高校教育改革の中で、男女共学化を推進します。」と記載されました。
実は2011年に発表された第一期の同計画の中にも「男女共学の推進」は明記されていましたが、「再編整備に合わせた男女共学化」という消極的な共学化を目指すものでした。今回は、「性差による制限のない学校選択の保障」や「性的少数者への対応」が加わり、積極的な共学化に関して大きく前進した表現となりました。
高校のジェンダーの問題としては、東京都立高校の「男女別定員制」が話題になりました。男女が同じ高校を受験して同じ点数をとったとしても、男子は合格、女子は不合格になるケースがあり、その状態は「ジェンダー平等に反する」というものです。早ければ2024年度入試から男女別定員が廃止されるとの報道がありました。
このようなニュースを聞くと「性別によって進学の機会が変わるのは公平とは言えない」と感じる人が多いのではないかと思います。
2022年9月の群馬県議会でも公立高校の男女共学化について知事への質問もありました。公立高校への進学の機会が性別によって制限されている状態を「群馬県の特徴・伝統」、「女子高・男子校を選べるという選択肢」等を理由として肯定せずに男女共学化が進むことを望んでいます。
(ぐんま公立高校男女共学を実現する会代表・群馬パース大学他非常勤講師 坂本祐子)
※本稿は、2020年11月~2021年10月に上毛新聞オピニオン21に掲載されたものを再構成した。