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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」①(ユニマーク・尾花社長)

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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」①(ユニマーク・尾花社長)

ライフ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2024.06.15 
tags:ユニマーク 尾花靖雄, ユニマーク 桐生, 大人のバトン

 大人になったからこそ、自分の若い頃を振り返り、若者たちに伝えたいことがある。「今の若い奴は・・・」といった説教なんかじゃない、もっと大切なもの。失敗や成功も含めて未来の若者につないでいきたい心のあり方や生き方。先人たちから受け取ったバトンを次につなぐことで、私たちは歴史を紡いできた。第一線で活躍する「大人たち」からのバトンを紹介するシリーズ「大人バトン」がスタートします。

【写真】株式会社ユニマークの尾花靖雄社長(同社にて)

「機械いじりが小さい頃から好きで、壊れた扇風機を修理したり、直せないくせに分解してみたりするのが好きな小学生でしたね。故障した機械をあれこれいじっている内に、直してしまうようなこともありました。多分接触不良だったんでしょうけど、機械いじりの面白さを知った原点でした」

 オリジナル刺繍やプリント加工で知られる株式会社ユニマーク(本社・桐生市相生町)の尾花靖雄社長は自身の小学生時代をこう振り返る。そして、この少年時代の記憶がその後の尾花さんの人生に大きな影響を与えることになる。

 

 1982年。中学3年生になった尾花さんはどこの高校に進学しようか迷っていた。家は刺繍工場を営んでいたが、父親は「お前の好きにすればいい」というスタンスだった。大学に進学することも頭をかすめ、普通科への進学も考えたが、何よりも機械いじりが好きで、エンジニアの仕事に興味があった。工業系の専門的な技術や知識が身につくと思い、桐生工業高校・電気科(当時)に進学した。

 入学後、大好きだった電気の勉強は想像通り楽しかった。電気系の国家資格も取得し、充実した高校生活だった。尾花さんが高校3年生だった1985年当時、高校生の卒業後の進路は約5割が就職、大学・短大進学者は4割弱の時代だ。高校の先輩たちも東京電力や電電公社(現・NTT)などの大手企業や地元の有力企業に就職する人が多かった。進路について考えていた折、担任の先生から「尾花。働きながら大学に行けるから受けてみないか」と声をかけられた。先生が背中を押してくれたこともあり、夜学である群馬大学工業短期大学部(1992年に閉鎖)電気工学科に入学した。昼間は三ツ葉電機製作所(現・ミツバ)の社員として、出来たばかりの新里工場の製造ラインに配属された。

 「会社も通学を応援してくれ、5時になったら仕事を上がらせてくれましたね」

 三ツ葉電機製作所は自社で設備を設計し、加工機などを全部作ってしまう文化だった。手作業を自動化する機械をオペレーターとして管理・運用する仕事を任された。「最先端の機械なのですが、よく不具合を起こしましてね。その機械を修理しながら生産していくという繰り返しでした」と尾花さんは苦笑いしながら当時を振り返る。機械そのものの修理や電気回路の修理など作業は多岐に渡った。分からなければ生産技術部を呼んで見てもらったりもした。「普通なら嫌気がさしてしまうような仕事ですよ。でも、もともと機械いじりが好きだった自分には、はまりましたね」と尾花さん。

 勤勉で実直な勤務態度が評価されて、入社2年で本社の生産技術に異動になる。まだ大学卒業前だった。

 生産技術部に配属されてからは、省力化設備やロボットの設計にのめり込んでいく。機械の動きを制御するプログラムの組み方も仕事を通じて身につけた。「プログラムのミスで人に怪我をさせてしまうこともあります。だから、すごく責任の重い仕事です」。21歳の尾花さんは、仕事の重圧にプレッシャーを感じながらも、やりたかった仕事の充足感にやりがいを感じていた。

                                                           (つづく)

 

掲載予定 4回(6/15、6/16、6/22、6/23)

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