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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」③(ユニマーク・尾花社長)

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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」③(ユニマーク・尾花社長)

ライフ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2024.06.22 
tags:ユニマーク 尾花靖雄, ユニマーク 桐生, 大人のバトン

 大人になったからこそ、自分の若い頃を振り返り、若者たちに伝えたいことがある。「今の若い奴は・・・」といった説教なんかじゃない、もっと大切なもの。失敗や成功も含めて未来の若者につないでいきたい心のあり方や生き方。先人たちから受け取ったバトンを次につなぐことで、私たちは歴史を紡いできた。第一線で活躍する「大人たち」からのバトンを紹介するシリーズ「大人バトン」がスタートします。

【写真】株式会社ユニマークの尾花靖雄社長(同社にて)

「機械いじりが小さい頃から好きで、壊れた扇風機を修理したり、直せないくせに分解してみたりするのが好きな小学生でしたね。故障した機械をあれこれいじっている内に、直してしまうようなこともありました。多分接触不良だったんでしょうけど、機械いじりの面白さを知った原点でした」

 オリジナル刺繍やプリント加工で知られる株式会社ユニマーク(本社・桐生市相生町)の尾花靖雄社長は自身の小学生時代をこう振り返る。そして、この少年時代の記憶がその後の尾花さんの人生に大きな影響を与えることになる。

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 家業の刺繍工場にまったく仕事が来なくなるという事態に直面した。
 2000年代、日本の工場が中国に移転する流れが加速した。尾花さんの刺繍工場は大手アパレル会社の下請けをしていた縫製メーカーとの関係が深く、売上の7割を依存していた。
「深い付き合いでしたが、中国進出の話は全く降りてこなかったんです。寝耳に水の話でしたね」。担当者には「半年後には中国で生産を開始するので仕事がなくなりますよ」と告げられた。中国に進出すれば仕事は継続できると言われたが、資金的にも時間的にも無理な話だった。実質的な首切りだった。
 空いた7割の売上を穴埋めするために新規の取引先を探さなければならなかったが、精神的に疲れ果ててしまい、新たに営業しようという気持ちにはなれなかった。
 残り3割の仕事は父親がやっていたが、いずれ立ちゆかなくなるのは目に見えていた。今後に向けて家族会議が開かれた。「そのとき初めて、経理事情を知ったんです」
 当時、尾花さんの家の刺繍工場は新規の設備投資などもあり、数千万円の借金を抱えていた。尾花さんは、その借り入れの連帯保証人だった。返済表を作り、計算した結果、毎月100万円を返済していかなければならないことが分かった。「規模の小さい家族経営の工場で、月100万の返済はかなりの負担ですよね。しかも7割の売上が消えてしまったわけですから・・・」
 当時、結婚もしていたし、子どももいた。荒海に放り込まれた状況だったが、何とかまっとうな形で返済していこうと決めた。

【画像】ユニマークの製造したワッペン(同社HPより)

 インターネットが出始めた時代。まだNTTくらいしか接続業者はなく、その知り合いからネットをつなぐ設定のアドバイスやフォローをする仕事をもらったが、とても月100万の返済には追いつかない。「同時進行で本業の刺繍製品を使って何かできないか。そこで思いついたのがワッペンだったんです」

 ワッペンは生地と糸さえあれば自社ですべて完結して生産できる唯一の商品だった。そのワッペンをオーダーで作るショップを始めた。父親の工場のガレージを改良して、そこに電話引いて、パソコンを購入して開業した。


 たまたま見かけた新聞記事が運命を変えた。京都の会社がインターネットでTシャツ販売を始め、成功しているという記事だった。「全国に事業を発信したかったのですが、当時はカタログ通販みたいなものしかなかった時代です。資本力のない一個人ではできないですし、インターネットにすごい興味が湧きました」。尾花さんは、早速その会社にコンタクトを取った。その会社からOSMC(オンラインショップマスターズクラブ)というインターネット通販をしている会社の社長が集まるフォーラムがあることを教えてもらった。

 「勉強会あるので、そこに出てきなよ」。すぐに反応した。会はネットショップのオーナーが50~100人くらい集まり、最先端の情報を手に入れることができた。当時、楽天もできたばかりで、ネットショップの草創期だった。

(つづく)

 

掲載予定 4回(6/15、6/16、6/22、6/23)

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