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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」②(ユニマーク・尾花社長)

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【シリーズ】大人バトン◆機械の分解に夢中になった少年の「いま」②(ユニマーク・尾花社長)

ライフ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2024.06.16 
tags:ユニマーク 尾花靖雄, ユニマーク 桐生, 大人のバトン

 大人になったからこそ、自分の若い頃を振り返り、若者たちに伝えたいことがある。「今の若い奴は・・・」といった説教なんかじゃない、もっと大切なもの。失敗や成功も含めて未来の若者につないでいきたい心のあり方や生き方。先人たちから受け取ったバトンを次につなぐことで、私たちは歴史を紡いできた。第一線で活躍する「大人たち」からのバトンを紹介するシリーズ「大人バトン」がスタートします。

【写真】株式会社ユニマークの尾花靖雄社長(同社にて)

「機械いじりが小さい頃から好きで、壊れた扇風機を修理したり、直せないくせに分解してみたりするのが好きな小学生でしたね。故障した機械をあれこれいじっている内に、直してしまうようなこともありました。多分接触不良だったんでしょうけど、機械いじりの面白さを知った原点でした」

 オリジナル刺繍やプリント加工で知られる株式会社ユニマーク(本社・桐生市相生町)の尾花靖雄社長は自身の小学生時代をこう振り返る。そして、この少年時代の記憶がその後の尾花さんの人生に大きな影響を与えることになる。

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 24時間体制で稼働する工場の機械トラブルの対応は激務だった。夜中に故障してしまえば、すぐに対応して、朝までに動かさなければいけないこともあった。こうした格闘による精神的な重圧から、常に気を張っている状態だった。

 サラリーマン生活は嫌ではなかった。むしろ楽しんで仕事ができていた。一方で、独立して設計の仕事をはじめる先輩も何人かいた。

 「尾花。独立すれば時間は自由に使えるし、過酷な修理対応からも解放されるぞ」。こんな先輩の声が尾花さんの起業してみたいという気持ちを芽生えさせた。何か自分で事業をやってみたいという思いがくすぶり始めたのもこの時期だ。

 そんな思いを抱えていた矢先、転機が訪れる。27歳のことだ。

 刺繍工場を営んでいた父親から「サラリーマンやっているんだったら、もっと給料も出すぞ。自営業っていうのもいいものだぞ」と口説かれた。すでにバブルは崩壊していたが、製造業は忙しく仕事はあふれるほどだった。  

 下請けの仕事は工賃が安いため量をこなさなければならない。結果、長時間働かないと収入につながらない構造だった。育ててくれた会社には申し訳ないという気持ちを抱えながらも、尾花さんは家業を継ぐことを決めた。

「親父も後継者のことを考え始めたんでしょうね。自分も継ごうとは積極的には思っていませんでしたが、どこかで自分が後を継ぐのかなという気持ちはあったんでしょうね」。

 刺繍工場は縫製メーカーから「裁断物」という布一枚が送られてきて、刺繍の位置を指示する型紙をもとに、忠実に再現していく仕事だった。刺繍機を動かすためのパンチングデータはコンピュータを使う必要があり、自社ではできなかった。専門の業者に月何十万も支払って外注していた。「なんとか自社でできないか」。エンジニア上がりの尾花さんに火がついた。

 当時、マイクロソフトの「ウインドウズ95」が発売され、パソコンが手軽に使える道具として普及し始めた。そんな折、ウインドウズ対応の刺繍ソフトが販売された。1000万円するものが500万円くらいで手に入るようになった。父親に交渉し、導入。数日間の講習後は独学でパンチングを覚え、外注を内製できるようにした。

 「もともと緻密なことをやるのが好きで、プログラミングの仕事と重なる部分もありました」

 刺繍工場の仕事になれ始めた頃、眠っていた事業欲がまた首をもたげてきた。家業を継ぐというのはストレスもある。肉親ゆえに本音がむき出しになる。父親の古いやり方と衝突したり、一緒に仕事をやる中でぶつかったりすることも少なくなかった。「自分で会社を作ってみたい。なんでもいいから事業をしてみたい」。当時、手当たり次第に本業とは関係ないさまざまな仕事にチャレンジしたが、月3~5万円ほどしか稼げず、挫折した。それでも諦めきれずに、起業のための本を読んだりして、事業の基礎的なことを学び始めた。そんな折、32歳の尾花さんに事件が起こる。

(つづく)

 

掲載予定 4回(6/15、6/16、6/22、6/23)

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