【教育コラム】新学期のはじまりー通知表、あれこれ(NEXTAGE SCHOOL 髙澤 典義)
夏休みが明けました。新学期初日、子どもたちの持ち物として忘れてはならないものの1つが通知表。
今回は、この通知表について考えていきたいと思います。
■通知表は作る必要がない??
どこの学校でも作成されている通知表。実は、その通知表は作る必要がない……と言ったら驚くでしょうか。
通知表を作って渡すことが法律などで義務付けられているわけではありません。学校に作成の義務があるのは「指導要録」です。指導要録は、児童・生徒の出席状況や成績、健康状態などを記載した、学校の公式記録です。単に記録し保存するだけでなく、転学や進学した学校にも抄本か写しを送ることが義務付けられています。何のために記録するかというと、外部に対して証明する際の原簿という役割もありますが、一番重要なのは、先生たちが以後その児童・生徒の指導に役立てるためです。
一方、通知表は、原簿である先ほどの指導要録を基に作成されます。
指導要録が先生たちのためのものであるのに対して、通知表は先生の指導の一環として、児童・生徒の課題を本人や保護者に伝えることで、その後の勉強などを頑張ってもらうためです。そのため、実は通知表の様式や伝え方も、各学校で違うのです。あらかじめ決まった形式があるわけではありません。それなのにどの学校もだいたい似通っているというのは実に奇妙です。あらためて整理すると、通知表は、作成の義務はなく、児童・生徒や保護者とのコミュニケーション手段として位置付けられています。作成してくれる先生方には感謝です。
【写真】通知表と子ども(引用 写真AC)
■通知表を渡すタイミング、学期終わりでいいの?
そんな色合いをもつ通知表について個人的にいくつか、いや、いくつもの課題意識をもっています。
例えば、”タイミング”です。
通知票を渡すタイミングです。
当たり前のように通知表は終業式に渡されます。終業式の次の日からは、長期休みです。通知表を通して少なくとも1学期の間の学習や生活について個々に課題が見出されるわけです。その課題を子どもたちはいつ克服するのでしょうか?「長期休みにやっておいてね!」が暗黙のメッセージ? というのが実際だと思いますが、果たしてこれは学習に対する責任をきちんと果たしていると言えるでしょうか?
「わからなかったところ、やっておいてね!次の学期までにわかるようにしておいてね!」となってしまっています。
…いやいや、そもそも授業を通してではわからなかったのです! それを自分でやっておいてねって言われてできるようなら最初からできています! そうではなくて、例えば、今より1ヶ月早く通知表を渡し、学校が休みでない期間内にきちんと復習してできるようにする。そして、長期休みへ突入。これが本来あるべき理想的な姿。そうでないとできないものはできないままですよね?現実問題として、渡されたその瞬間、結果のみに一喜一憂しており、その後に生かされない通知表。これは大きな課題であると考えるのです。
■もっと伝わる通知表を
別の視点で考えると、”伝わらない”というのもあります。
通知票を見ただけでは、何が理解できていて、何を理解できていないのかが全くといっていいほど理解できないということです。国語の成績『3』これを見て何をどう改善すれば良いかわかりますか? せっかく伝えるなら、見て努力すべき点がきちんとわかるものであって欲しいですよね。小学校も中学校も評価が抽象的すぎて、何ができていて、何ができていないのかがわかりません。これだと数字の良し悪しの報告に終始してしまいます。指導に役立てるための通知表であるはずが、ただの結果報告に。評価のための評価というか。
他に課題は…長くなるので割愛します。
■通知表を作成する先生も大変!
教員の多忙化もまた大きな課題となっています。
通知表の作成、これは実に教員の負担となり、肩に重くのしかかっています。常識というか慣例となり過ぎているため、あまり疑問の声も挙がりません。通知表を作成する過程で先生方が記録している各教科の数値的データ。Excel等で自作されている先生もいれば、教科書会社から提供されるものを利用している先生方もいます。これらは実はかなり具体的だったりします。少々フォーマットを工夫すれば、それがそのまま具体的かつ追加負担を少なめな、誰が見てもわかりやすい”新たな通知表”として活用できると思うのです。
これまでの常識を疑う。
新しい時代を生きる我々にとって、この視点はどの分野においても忘れてはならないものだと思います。今あるものの在り方を見直す。
先生方の負担が減りながらにして児童生徒のためになること、たくさんあるような気がするのです。
さあ、新学期のスタートです。
もらった通知表を生かして、良いスタートが切れそうですか?
主宰 髙澤 典義
大学卒業後、18年にわたり公立小、中、特別支援学校において勤務。2015年から3年間在外教育施設(ソウル日本人学校)における勤務を経験。2021年教師を辞め、桐生市にNEXTAGE SCHOOLを開校。