「歌に生命を吹き込んでほしい」谷川俊太郎さんが手がけた四ツ葉学園の校歌
13日に92歳で死去した詩人の谷川俊太郎さんは、全国各地の校歌を手がけたことでも知られている。
県内でも四ツ葉学園中等教育学校(伊勢崎市)の校歌は谷川俊太郎さんの作品で、市立伊勢崎高校時代から32年間歌い継がれている。
同校の校歌は伊勢崎市立女子高校から市立伊勢崎高校への改編を機に誕生した。初めは校歌を新しく作ろうと公募。全国から83編の応募があったが、該当作は見つからなかった。
92年、市立伊勢崎高校が創立され、「月並みな校歌ではなく若い心に訴える校歌を作りたい」と作詞を谷川俊太郎さん、作曲を谷川さんの息子で作曲家の谷川賢作さんに依頼することになった。
翌年1月に校歌は完成。当時の朝日新聞の記事では、卒業式を間近に控え「やっと校旗、校歌ができた」と生徒の喜びが伝えられている。
「円を描こう」という歌詞は谷川さんが学校を訪れた際、前身の市立伊勢崎女子高校が円形の校舎だったことにちなんで採り入れられたという。
完成当時、谷川さんから高校に送られた直筆の手紙には「校歌というものは、出来上がってしまえばもう、作詞者、作曲者のものではなく、学校のものであると思います。生徒諸君、先生方が歌に生命を吹き込むもの」と綴(つづ)られている。
【画像】谷川俊太郎さんから市立伊勢崎高校(現・四ツ葉学園中等教育学校)に送られた直筆の手紙(提供:四ツ葉学園中等教育学校)
2009年に四ツ葉学園中等教育学校が新設され、学校側が谷川さんに「新しい学校でも歌い継いでもよいか」と連絡したところ、快諾。「改編、改名等によって、校歌が変更される場合も多々ある中、私共が作った校歌がひきつづき歌われてゆくのは大きな喜びです」と返事が届いた。
谷川さんの逝去の知らせに、同校では「心からお悔やみ申し上げるとともに、校歌は作詞、作曲者のものではなく歌い手のものだという谷川さんの言葉をこれからも大切にして歌い継いでいきたい」と話している。
(編集部)