ホーム

»

学校ニュース

»

【塾の先生コラム】「桐高」と『キリタカ』(桐生進学教室)

学校ニュース

一覧はこちら

【塾の先生コラム】「桐高」と『キリタカ』(桐生進学教室)

オピニオン

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2022.06.03 
tags:キリタカ, 前橋高校, 塾の先生コラム, 太田高校, 桐生女子高校, 桐生進学教室, 桐生高校, 桐生高校 進学実績, 高崎高校

| 私が「新・桐生高校」を「キリコウ」と呼ぶ理由

 私は「新・桐生高校」のことを“キリタカ”とは呼びません。“キリコウ”と呼んでいます。そもそも“タカ”という呼び名は群馬と栃木だけのローカルネームで、しかもそれは『公立男子進学校に対しての敬称』という意味を持っているからです。繰り返して確認しますが、「タカ」という呼称は①県立の“男子校”であり、②その地域の“トップ校”に対して与えられる、③“敬称”なのです。

 

 皆さんは「タカイッポン」という言葉をご存知でしょうか。私はその「タカイッポン」でした。高校入試において、いわゆる私立の「滑り止め」(失礼な言い方ですよね)を受験せずに「キリタカ」だけしか受験しない、腕(頭?)に自信のあるカッコイイ(?)受験方法または受験生そのものを指すコトバで、「オレはタカイッポンで行く」とか「あいつはタカイッポンだ」などと表現します。

 そしてずいぶん前のことですが、男子の塾生に志望校を聞くと「タカです」と明快な声で堂々と応える場面がありました。桐生の男子にとって「キリ」などは不要なのです。(女子は「ジョシコウに行きたいです」と言いました。もちろん、それは「キリジョ」のことを指します)それほどに桐生の中学生にとって“タカ”は憧れの存在でありました。

 ところで、今から十数年ほど前のことになりますが、『太田高校』は自らを“タコウ”と呼んでほしいという《タコウ宣言》をしました。その時に太田高校に通っていた生徒(卒塾生)によると、校長先生が「われら太田高校はもはや群馬の一地方の進学校ではない。全国の公立・私立進学校の中での太田高校という位置付けにする。だから諸君らは今日からタコウ生である」とおっしゃったそうです。

 そして最近の太田高校生(卒塾生)に自分たちのことを何と呼んでいるかと尋ねたところ、「タタカ」は三分の一しかおらず、「タコウ」が三分の一で残りの三分の一は単に「オオタ」だということでした。たしかに、埼玉県立浦和高校のことを誰も「ウラタカ」とは言いませんし、単に「ウラワ」で済ませています。

 だから、この新しい学校に対しての呼び名を敢えて「キリコウ」とすることで、今や県内屈指の進学校となっている「タコウ」のように全国を相手にして大学進学実績を競う“真の進学校”になってもらいたいという私の願いを表しているのです。

 

| 果たして「桐生高校」を「地域トップ高」と言えるのか?

 なお、ここからは“心情”ではなく“理屈”を中心に述べさせていただきます。

「新・桐生高校」は男子校ではなく完全な男女共学校ですので、前述の定義①により「タカ」と呼ぶことはできません。いや、それ以前に『キリタカ』が理数科を開設し、部分的とはいえ男女共学になったその時点でもはや“タカ”と呼ぶべき根拠を失っていたわけです。

 

 数年前のことになりますが、『キリタカ』の卒業生(同級生)が突然、私の塾を訪ねてきました。「丹羽も同窓会の手伝いをしてくれ」という内容でした。その時は既に理数科ができていましたので、私は「もはやキリタカではなくなってしまった学校に“卒業生”の顔をして出向きたくはない」と断り、さらにこんな質問を彼にしました。

「ところで君の子どもはどこの高校に通わせたのか」と。

 彼は答えました。

「上の子は成績が良かったので前高で、下の子はそれほどでもなかったので桐高にした」と。

 それに対して私はすぐに問いかけました。

「なぜ上の子は桐高にしなかったのか。同窓会の活動にも熱心な君なら“母校”を選ばせるべきだっただろうに」と。

「いやあ、いくら何でもイマの桐高には通わせられないよ。それは丹羽だってわかるだろう」と、少しキマリ悪そうに彼は答えてくれました。

 それに対して私は「父の母校だからって成績優秀でも桐高を選んだ塾生がウチには何人もいるよ」と応えるだけに留めておきました。

 とはいえ私の塾の生徒たちも、ほとんどが桐生市とみどり市に住んでいますが、卒塾生の内の男子の進路は現時点で前高116名・太高39名・桐高62名・理数科13名(女子は15名)と、残念ながら1位は前高で、さらに前高と太高の合計は桐高と理数科の合計の2倍を超えています。

 同窓会の手伝いを断った時、もうひとつの理由も彼に伝えました。「僕は“裏切り者”だからね。手伝う資格が無いのだよ」と。

 そして、この現象や状況は何も私の塾だけのことではありません。他の多くの塾も桐生に教室を持ち桐生の子供たちを指導しているにも関わらず「目指せ! 前高前女・太高太女」を謳っていて、生徒たちも同様に「できれば前高前女・太高太女に行きたいです」と言っています。つまり、ここ数年の桐高は成績上位生の市外流出によって②の定義すなわち“その地域のトップ校”にもあてはまらなくなってしまっているのです。「僕」だけではなくこの街の人たちの多くが“裏切り者”になってしまったのかもしれません。

 

 「桐高」をこのような状況に追い込むきっかけとなったのは、実はその当時の「キリタカ生」であった私たちの学年だったのかも知れません。前号の記述のように、私は高校の先生からもいろいろなことを語ってもらっていました。高校2年生の時に先生から言われた言葉です。

「お前たちはもう『キリタカ生』じゃあ無くなってしまったみたいだな」

「え? どこがですか? オレたちは紛れもないキリタカ生ですよ」

「いや、何か違うんだよな、これまでの生徒たちとは。オトナじゃないっていうか、自立していないっていうか、ヤワになったっていうか、うまく言えないけど、教師のカンってやつだな」

 そして高校3年生の時にはついにクラス全員がこのように言われてしまいました。

「お前たち、どうした。模試の平均点がタタカに抜かれたぞ!」と。

「だから、何?」

 おそらくそれを聞いていたクラスの全員がそう思っていたはずです。

「オオタのくせに生意気だ」とも。

 当時の桐高には1クラスに3人から4人くらい太田市内から通って来ている生徒がいましたし、前橋市や伊勢崎市からも同じくらいの生徒が通っていたので、私たちは「キリタカ」としてのプライドを持っていたのです。プライドだけは・・・。

 

 それからしばらく時が経ち、やがて③の定義も打ち砕かれるようになります。忘れもしません、『キリタカ』のプライドに泥を塗るような塾の広告のキャッチコピーを。 

<< 学校の成績3で桐高・桐女へ >> 

 確かにそのころの桐高や桐女はそのような成績でも合格できるようなレベルまで下がってしまっていました。だからこそ高校の先生たちや同窓生の皆さんが力を合わせて桐高・桐女の“再建”に心血を注いでいらしたのに、それをあざ笑うかのように(私にはそう思えました)桐高や桐女の「尊厳」を貶めるような表現がそこにはあったのです。その塾は塾長をはじめ幹部の講師たちのほとんどがキリタカの卒業生ではないことが一層私の気持ちを逆撫でしました。卒業してから何十年も経っているというのに私の中には『キリタカ生』としてのプライドが確固として存在していることにあらためて気付かされました。

 

| 「桐生高校」よ 現実を直視して高みを目指せ!

 しかし、そういう現実もしっかりと認識しなければなりません。

 桐高同窓会のHPの「その他のお知らせ」の中で、『新桐生高校について』という題で同窓会長さんが統合に至った経過説明を述べておられますが、そこの一部にこのような記述があります。

「現在の群馬県は、全県一区となり、本人の希望によりどこの高校でも自由に進学することができます。そのため桐生市の中学生の概ね成績上位者60~70名以上が前橋、太田地区の高校に流出しています。桐生市出身の東大合格者の大半は前橋、太田の高校出身者です。こうした実情から、桐高だけで生き残るのではなく、より高いレベルの進学を目指す両校の統合による高校、つまり“桐高・桐女の統合”を選択しました」

 『キリタカ』から「桐高」への移行に対する会長さんの苦しい胸の内が伝わってきます。そして<現実>は数字の上でも明らかになっています。

 

 この比較データはそれぞれの学校のHPや進学情報サイトを参照した今年度の“大学合格者数”で、下段の「キリタカ」だけは「桐生高等学校同窓会名簿」に記載されている私の学年の前後数年分の“卒業大学”を集計し平均化したものです。

 合格者数は延べ人数=重複集計なのに対して名簿の方は届出をしていない同窓生もいて数字が小さくなっているので平均値の小数点以下は切り上げました。さらに「延べ人数」では、おそらく私立大学の人数は早慶が2倍でMARCHは3倍にはなると思います。(医学部医学科も2倍)

 

 この現状から、いまの「桐高」が大学進学実績の数値をもとの『キリタカ』の数値に戻すことがどれだけ大変なことであるか、容易に想像できます。しかし、以前の太高が桐高を越え、さらには<タコウ宣言>をして現在のような実績を出すようになったことを考えれば決して不可能なことではないと考えます。

 

| 「新・桐生高校」へのエール

 先日、私のところに「同窓会報」が送られてきました。そこにはハッキリと<創刊号>の文字が書かれていました。この同窓会報の題字は『紫』となっていて、これまでの『山紫』とは異なっていました。

 平成30年7月17日に群馬県教育委員会から発表された「桐生・みどり地区新高等学校の基本構想」の冒頭の「Ⅰ」に「群馬県立桐生高等学校と群馬県立桐生女子高等学校を統合し、高いレベルの進学を目指す新高等学校を開設する」と明記されています。つまり今回の統合は、一般的に考えられているような「桐高」に「桐女」を“統合した”のではなく、『新高等学校』を“開設した”のです。多くの人々の強い願いによって『新高等学校』の名称と住所だけが「旧・桐生高等学校」から継承されただけです。その証拠に、同窓会報だけではなく校歌も校章も制服も“新たに”制定されています。旧・桐高同窓会によるこれらへの強い存続の要請は却下されてしまいました。

 

 青色に赤色を混ぜると紫色になります。青色と赤色を混ぜても同様に紫色になります。今回の二校の“統合”は明らかに後者の方です。「山紫」と「花紫」を混ぜたら「紫」になりますが、やはりそれらは三つとも別々のものでしかありません。

 『キリタカ』は今でも確かに私の心の中にありますが、それは私の心の中にしか存在しません。私にとって「桐高」と『キリタカ』は全く別のものに見えてしまうのです。

 

 「新・桐生高校」に関わる教職員の皆さん、在校生徒諸君、それを支えてくださっている同窓会の方々、そしてこの学校を第一志望にしている受験生諸君。この「桐生・みどり地区新高等学校の基本構想」で明確に示されている「高いレベルの進学を目指す新高等学校」を現実のものとするべく、皆さんの高い志と不断の努力とで地元の受験生から憧れをもって見られるようなすばらしい学校と伝統を、皆さん自身で創っていってください。しかし、だからこそ、もう「タカ」などという古い名称やプライドに捉われていてはいけないと思います。

 新しい「桐生高等学校」を心から応援しています。

 いざ、<学びの道に勤しまん> !!

プロフィール

丹羽塾長

<現職>

桐生進学教室 塾長

 

<経歴>

群馬県立桐生高等学校 卒業

早稲田大学第一文学部 卒業

全国フランチャイズ学習塾 講師

都内家庭教師派遣センター 講師

首都圏個人経営総合学習塾 講師

首都圏個人経営総合学習塾 主任

首都圏大手進学塾    学年主任

都内個人経営総合学習塾 専任講師

 

 

 

ページのパスを確認してください

ページトップへ