【教育コラム】宿題の「是非」についての考察(前編)(NEXTAGE SCHOOL 髙澤 典義)
今回は誰もがご存知、学校の宿題に切り込んでみたいと思います。
少々長くなりますので、前編・後編に分けて配信します。
今やどこの小中学校でも毎日のように、当たり前のように出されている宿題。宿題については私が子どもの頃はもちろん、教員になった20年前も今ほど当たり前のものではありませんでした。小学校はともかく、少なくとも中学校では、こんなに宿題は出ていなかったです。
学校の業務量の多さは、いろいろなところで議論されています。宿題については、削減可能だと言う意識は教員の中でも少数派の意見となっているのではないでしょうか。しかし、宿題も教員の業務において一定の負担となっていると個人的には考えていますし、子どもたちの学びにとって本当にプラスになっているのかとも考えているため、一考の余地があるのではないかと思うのです。
そのような”宿題”ですが、まずは宿題がどのように生まれ、どのように変遷してきたのかを整理していきます。
|”宿題”のはじまり
まず、宿題はどのようにして始まったのか?
宿題の始まりは、”夏休みの宿題”です。夏休みが関係していたんです。
なるほど、それはよくわかりますね。
私たちが子どもの頃から夏休みの宿題はかなりの分量で課されていました。
日本では4月から新学期が始まります。学校に慣れ、勉強に慣れてきた頃に夏休み期間に突入すると、勉強がいったん中断してしまいます。そのため、中断された学習内容を忘れることがないよう、子どもたちに休みの期間中も勉強を継続させ、学んだことを忘れないようにするために「宿題」が生まれたと言われています。
学制の制定後の明治14年に、当時の文部省(現在の文部科学省)は「夏季休業日」いわゆる「夏休み」を定めています。その頃が宿題の始まりと考えられます。
明治時代から大正時代になると、出版社や教育産業の業者が夏休みの宿題用の教材を作成し始め、学習課題と日記が別に取り扱われるようになっていきます。
また、戦時中には、国(文部省)が宿題の内容を作成し、全国一律のものになっています。
そして、現在の夏休みの宿題は、業者のワーク、漢字練習、計算練習、絵画、作文、標語、自由研究など多岐にわたる宿題が課されています。中でも自由研究は、そのやり方を子どもたちがしっかりわかっていなくて、何をやったら良いかわからず、保護者の負担になっているという事態を生んでいます。
夏休みの宿題は、量が多すぎることが問題だとは思いますが、理由を理解することができるため、ある程度はあってもいいと思います。
|毎日の”宿題”
夏休みの課題として生まれた「宿題」が、現在はほぼ毎日、主に授業の復習としてほとんど全ての小中学生に課されています。
漢字の書き取りや計算問題、音読などを中心に。学校で6時間みっちり勉強してきてなお、です。
宿題の種類は、その他にも、プリントやドリルを宿題とする場合も多いです。その教材も民間の学習教材が多く、昔のように教師が自身で作るものは少なくなっています。
我が子の小学生時代の様子を見ていると、学校から帰ってジュースを飲む程度一息つき、早速宿題におよそ30分~1時間費やしていたのが現状でした。それを家庭学習の習慣が身についていると褒めているような現状ですが、果たしてそうでしょうか? 本人のモチベーションはどのようなものでしょう? ”やらなければならないからやる”習慣にはなっていましたが、前向きなものではなかったように思います。
こうして現在のように宿題が毎日化した背景を考えてみました。
いつから今のように中学校でまで宿題が広がっていったのか。
それは、”ゆとり教育”が原因です。
ゆとり教育が始まったのは、厳密には1980年度からとされているのですが、宿題と言う点でフォーカスしたいのは、いわゆる”ゆとり世代”と言われてしまっている世代の頃です。
”ゆとり世代”とは一体何なのか?
2002年度の学習指導要領改訂で、小中学校の学習内容のうち3割を削減し、その分を高校での指導に回すこととなりました。またこの年から土・日は休みになり「完全学校週5日制」となりました。大幅な学習内容の削減や休みの増加が、「ゆとり」の印象を強めたのか、メディアがこの教育を受けた世代について「ゆとり世代」と呼び始めました。
その影響で、この年代に教育を受けた世代をゆとり世代だと考える人が一般的に多いようです。
ここで大幅な学習内容の削減や休みの増加を補うものとして、今のような宿題システムが誕生し、定着したと考えられます。
と、ここまでが宿題が今の宿題たらしめた経緯についてお話しさせていただきました。では、宿題は本当に必要なのか。【後編】で考察を深めていきたいと思います。
主宰 髙澤 典義
大学卒業後、18年にわたり公立小、中、特別支援学校において勤務。2015年から3年間在外教育施設(ソウル日本人学校)における勤務を経験。2021年教師を辞め、桐生市にNEXTAGE SCHOOLを開校。