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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《6》

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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《6》

スポーツ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2025.01.26 
tags:峰岸 走太朗, 峰岸走太朗 侍JAPAN U12, 桂浜, 第11回アジア野球選手権 日本 台湾, 第11回アジア野球選手権 松山

⚾11月29日(金) 

 10時試合開始の予定が昨夕からの雨の影響で、グランド整備に時間がかかるためか、12時開始に変更。

「さて、どう時間をつぶそう …」と考えた末、2時間ほど過ごせるところは「あそこしかない」と、また「坂の上の雲ミュージアム」におじゃますることにしました。

 前回少しご紹介しましたが、このミュージアムは一つの展示室から次の部屋へ行くとき、必ず〈坂〉があります。その名にふさわしい設計なのです。入口からのスロープを上り右に曲がると、『産経新聞』に1968(昭和43)年4月22日~1972(昭和47)年8月4日にかけて掲載された『坂の上の雲』の計1,296回すべてが壁いっぱいに並んでいます。縦に28回分、それが47列(だったと思います)。こんな斬新なアイデアを考えた方(方々)がいたことに驚きました。
 きっと司馬さんも天上で度肝を抜かれたのではないでしょうか!? 

 


 スロープを上りきったところには、実際の新聞をコピーした分厚いファイルが3冊ありました。東大阪市にある〈司馬遼太郎記念館〉に行ったことがありますが、そこは司馬さんが集めた膨大な数の蔵書が並ぶ「本の壁」がありました。しかし、これほどの長い小説(単行本で6冊、文庫本にすると8冊)を、一面のコンクリート壁に写しとった場所はどこをさがしてもないでしょう。ぜひ、いらしてみてください。(ちなみに、司馬遼太郎記念館も、安藤忠雄さん設計のコンクリート打ちっぱなしの施設です。)

 さあ、「3位決定戦」です。「銅メダル」だって「ええ色してるぞなもし!」。

 弱い風が吹く中、12時に試合が開始されました。走太朗はきょうも「1番セカンド」で出場。少年野球のフィールドは投手と捕手間、各塁間の長さ、外野の広さなどは、大人用の長さ・大きさよりコンパクトになります。特に外野には数十個の「特設フェンス」が立っています。

 この日は4回表あたりから風が一段と強くなり、フェンスが5つ、6つ … 最終的には9割以上が倒れてしまうほどの強風が吹き荒れました。試合は一時中断。選手たちはベンチや休憩所で待機。観客も球場1階のホールに退避するなど、思わぬ事態になりました。

 雨による中断後、先取点を奪われた韓国戦が脳裏に浮かび、いや~な予感がよぎりました。「けんど、きのうは雨ぞなもし。きょうは風やけん …!」

 そう、雨には負けましたが、風には負けませんでした。日本は立岩(たていわ)くん~鈴木くん~惣宇利(そうり)くんの3投手による「ノーヒット・ノーラン」で中国を完封。打線も12安打・4四球・2死球で10得点をあげ、投打が嚙み合って「アジア3位」を手にしました。

 走太朗はピッチャーゴロ、センターフライ、ピッチャーエラー、デッドボールの3打数無安打1盗塁、出塁率0.500でした。

【試合結果】

 

 試合は中断もあったので14時半頃に終了。17時過ぎの飛行機に乗らなければならないので、決勝戦(台湾 5-1 韓国)と表彰式は見られず。チーム全員で球場外をクールダウンする走太朗と侍たちにひと言かけて、松山空港へ向かいました。

 では、大会をふり返ってみます。

 

 「侍ジャパン U-12」の選手になるには、全日本軟式野球連盟に登録している学童野球チームに所属する12歳以下の小学生が、まず動画応募による審査・選考である「侍ジャパン U-12 日本代表 全日本合同トライアウト~デジタルチャレンジ~」を受けます。

 以下の条件のうち、1つ以上クリアしていることが必要です。

〈1〉50m走 7.3秒以下 (走太朗は100m 13.07秒で悠々クリア)               

〈2〉球速 105km/h 以上 (たぶん投げているはずです)

〈3〉遠投 70m以上 (これも余裕でクリア)

〈4〉特筆すべき技能を持っていること 〈平均打率5割以上や飛距離が突出しているなど〉(市・県の大会では「走ればセーフ」の盗塁という快足・強肩・広い守備範囲は誰もが認めていたので、これもクリア)

 この第一次審査を通過した選手たちが、9月28日西日本、10月5日東日本でおこなわれたトライアウト(実技)を受け、その中から「15人」の日本代表選手が選出されました。超難関大学の合格率など吹っ飛んでしまうぐらい高い競争率です。

 

 チーム作りをする場合、監督はじめコーチ陣は、「どんな野球をして勝つか」を考えて選手たちを選びます。「大砲」(ホームランバッターや中・長距離打者)ばかりそろえても勝てません。

 

 「野球は守りから」といわれるように、充実した投手陣、すぐれたインサイドワークと強肩の捕手、巧みな技術とこまかい動きができるセカンドとショート、そして広い守範囲を誇る強肩、快足のセンター … いわゆる「センター・ライン」と呼ばれる守備位置を、まず充実させるのが常道です。

 

 登録選手が「15人」なので、特に「投球数制限のルール」がある投手が多くいるに越したことはありません。そこで、投手はもちろんのこと、捕手をはじめ内野・外野もできるマルチプレーヤーをそろえる必要があります。

 

 走太朗は所属する「菱・境野フューチャーズ」、「東京ヤクルト スワローズ Jr.」、「桐生サルビア」では、主としてセンターを守り、時にはショート、ピッチャーも経験していました。「15人」は守備に関してはどこでも守れる強き「サムライ」と言えます。

 

 それがなぜ、「3位」に甘んじたのでしょう? その辺の分析、考察は次稿で見ていきたいと思います。

 

(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)   

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