【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《3》
桂浜から10分ほど歩くと、1991年に開館した高知県立坂本龍馬記念館があります。2018年にリニューアルされ、別館も建っていました。ここに来る楽しみの一つが「龍馬への手紙」を書くコーナーです。これをまとめた「ほいたら まちゅうき」という本に私が書いた一通も載せられています。でもコロナ禍の影響でここ数年は取りやめているとのこと。ちょっぴり残念でした。
館内には龍馬直筆の手紙や関連資料が展示されています。「幕末広場」には誕生から成長の過程をたどり、脱藩~勝海舟との出会い~薩長同盟~海援隊の活動~龍馬の最期~近代の幕開けなど、以前の展示より幕末から明治維新への動きがとてもスッキリ、よくわかるように工夫されています。中学生が来館すれば幕末から明治維新にかけての歴史の流れが手にとるようにわかります。
屋上に出ると、眼下に太平洋の広大なパノラマが展開されています。「こころはいつも太平洋ぜよ」(と、龍馬サンが言ったかどうかわかりませんが)としゃべる「りょうまくん人形」を思い出しました。売店で孫たちに龍馬のサインが入ったボールペンを買いました。いつか彼らの中の誰かがこの記念館に来て、龍馬サンへ手紙を書いてくれればという夢を託して。ていねいな応対をしてくださった店員さんにお礼を言って、まだまだ帰りたくない思いをふり切りバス停に向かいました。
日本を今一度せんたくいたし申し候(龍馬の乙女姉さんへの「手紙」より)
福島の悲惨な事故をもう忘れたかのように、原発再稼働、新設に舵をとる政治家…。今の日本に、「第二のりょうま」はいないのでしょうか?
⚾11月26日(火)
この日は「大会予備日」で試合なし。侍たちは松山城へ観光に出かけました。監督のおごりで、休憩所ではソフトクリームを、夜は焼き肉店でおいしい肉をたらふく食べたとか。
この大会は、日韓台の3強から優勝チームが出るのは野球通ならだれもが予想できました。グループリーグでは、韓国が1対0という接戦で台湾を破っています。両チームとも好投手をそろえた守りは堅固、攻撃もシャープな打撃でグループを勝ち抜いてきました。
【韓国】〇10-0 香港、〇35-0 タイ、〇1-0 台湾
【台湾】〇24-0 タイ、〇11-0 香港 ● 0-1韓国
日本は前述のとおり、〇16-0 中国、〇9-0 フィリピン、〇22-0 インド。
韓国と台湾は対戦して、締まった試合を経験しました。一方、日本は緊張した戦いなしで強豪2チームと対戦することになり、その影響がどう出るか…。 すこし心配です。このことは選手たちも十分承知していて、この日の夜、キャプテンの部屋に集まって選手だけのミーティングをしたようです。
(後日YouTubeで見たところ)選手全員で1時間くらい時間をかけてチームのいいところと悪いところ、自分たちが気になっていることなどをいろいろ話し合ったといいます。ケンカみたいになったこともあったけど、すごくよかった ということでした。選手たちも危機感をもって、韓国戦に向けて気持ちを引きしめたようです。
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「危機感」をもったのは選手だけではありません。私もひとつ、「これじゃ、いかんぞなもし …」と思ったことがありました。「応援」です。グループリーグの3戦で、相手チームの応援団は当然のごとく日本より少人数。でも、時には日本の応援を上まわる声援で選手たちを励ましていました。そこで、これまで日本の応援団の中心になって引っ張っていた我が長男に、LINEでこれまでの孤軍奮闘をたたえるとともに、「台湾、韓国チームの応援はすさまじいものがある。今こそ、親が立ち上がる時です! 保護者のみなさんに、自分の息子が歌ってほしいプロ野球選手の応援歌を聞いてみて、まとめてみたら…」など提案しました。
さらに、みんながすぐ歌える歌として、例えば得点したときには
「(スワローズの『東京音頭』の替え歌で)「はぁ~、踊りおどるな~ら、チョイと 松山音頭~、ヨイヨイ、伊予の松山~、伊予の坊ちゃん球場で、ヤットな~ソレ ヨイヨイヨイ、 ヤットな~ ソレ ヨイヨイヨイ」と歌うとか。こりゃあ、われながらオモロイぞ! さあ、息子よ、どうする?
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私たちの「りょうまの旅」2日目は土佐電鉄の路面電車に乗って高知城へ。城の周辺には、高知県立文学館(1997年開館)と高知城歴史博物館(2017年開館)など以前にはなかった建物がつくられていました(今回は残念ながら、時間の都合で見られませんでした)。
かつて生徒たちと上った城の坂道は、老体には大変なものになってしまいました。
天守閣内部の階段は、ほとんど45度の急勾配。39年前は生徒たちと先を争うように上ったのに、今では手すりにつかまりながら … という始末。ちょうど観光客が少ない時間だったので、あとから来る方々に迷惑をかけずに済んだのがさいわいでした。
身分制度がきびしかった土佐藩。郷士の家に生まれた龍馬は、生涯一度も城に入ったことはありませんでした。まぁ彼にとって、そんなことはどうでもよかったのかもしれません!
城をあとにした私たちは、龍馬の誕生地へ。15日に誕生祭があったばかりで石碑にはたくさんの花が置かれていました。あと少し早く来ていれば、お祭りに参加できたのに … 。
そこから歩いて5分ほどの町内に、「龍馬の生まれたまち記念館」(2004年開館)がありました。坂本家の家族、上町(かみまち)の歴史と文化などを立体模型や映像などで展示してあります。十数人のヴォランティアの方々が交代で来場者と一緒に施設内を回って説明してくれます。私たちは女性の方に案内していただきました。お話の内容はほとんど知っていることでしたが、「復習」させていただきました。
次の目的地は「龍馬郵便局」! 全国で初めての実在した人物の名前がついた郵便局。入口には大きな龍馬像、ポストの上には小さな龍馬像が立っています。局内にかっこいい龍馬のポスターがあり、局員の方に販売しているのかお聞きしたら、売ってはいないとのこと。どうしても欲しくてお金を払うので売って欲しいと頼んだのですが、だめでした。仕方なく写真を撮ってきました。
「かつおのタタキって、こんなにうまいモノか!」と驚いた39年前。
今回も「酔鯨」(これは必ず!)、「土佐鶴」(群馬でも飲めます)、「船中八策」(初めて飲みました。おいしかった!)を飲みつつ、「タタキ」をたらふくお腹におさめました。土佐の高知には日本酒が似合います。また飲みたいぜよ!
(つづく)
(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)