【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《最終回》
走太朗からの贈りもの
走ちゃん、ほんとうによくがんばったネ。初めて伊予の国・松山へ、そして20数年ぶりに高知に行けたのも、走ちゃんのおかげだよ。12歳の選手たちが全力をつくして戦った大会。選手たちが一生けんめいに白球を追いかける姿を見ることができて、楽しい毎日でした。野球のおもしろさ、深さ、楽しさはやっぱり最高だね。
3位に終わって、きみとJAPANの仲間たちはくやしくて、残念だったと思います。でも、スポーツは「勝ち・負け」がすべてではありません。英語で「スポーツをする」を表すと、どんな競技でも「play」という単語を使います。「play baseball」、「play football」…。ドイツ語も「spielen」(シュピーレン) 。辞書を引くと、英語もドイツ語もいちばん最初に「遊ぶ」という訳が書いてあります。すべての外国語でも同じだと思います。スポーツは「遊ぶ」ことから出発しているのです。「楽しい」から始まり、楽しいから苦しいことがあっても続けられるのです。
でも大会となると、そうも言ってはいられませんね。ましてや国の代表選手ともなれば、「勝つこと」が要求されます。12歳のきみや仲間にとっては、初めての経験でしたね。今まで戦った試合の中で、とてもプレッシャーを感じた連戦だったでしょう。しかし、そこから得た「たからもの」があるはずです。
【外部リンク】心身ともに著しく成長した活動期間 仁志敏久監督らが伝えた「選手として、人として成長するために必要なこと」(侍ジャパン U12公式サイト)
まず、「14人」のチームメイトです。全国から選ばれたたった15人。それぞれが、すぐれた野球の技術とセンス(感性)をもち、一緒に戦った「ともだち」はずっとずっとこれからも「ともだち」です。野球でスランプになったとき、ケガをしたときなど一緒に悩み、苦しんでくれるはずです。うれしい出来事があったとき、自分のことのようによろこんでくれるはずです。そんな素晴らしい「ともだち」、「一生を通してのともだち」に会えたのです。よかったね。
ふたつ目のたからもの。
走ちゃんが「SAMURAI JAPAN U-12」、そして「スワローズJr.」に選ばれたのは、きっと「足の速さ」「守備範囲の広さ」「強肩」など、チームに必要だと思われたからでしょう。それだけならほかの14人も共通するところがあります。
SAMURI JAPANの公式「試合レポート」のインタビュー記事で、仁志監督が走ちゃんのことを「すごくひたむきで、いつも一生けんめいにやる模範的な選手の一人である」と言っていました。この記事を読んでジィちゃんは、走ちゃんが試合でヒットを打ったり、盗塁に成功したときと同じぐらい、いや、もっとうれしかった。
また、放り出されたバットやグローブをきちんとそろえる姿に感心していたYouTubeのアナウンサーもいたよ。
「今回のチームは、すこしヤンチャなところがありますが、常に誰かしら自主的に声を出しています。〈チームに貢献するためには何をすべきか〉をいつも考えてほしい。自分の意思で発言し、行動できる人間になれるよう、今大会がきっかけになればと思います」と仁志監督が言っていました。
野球のプレイヤーとしてだけでなく、ひとりの12歳の少年としての長所を認めてもらっています。ジィちゃんは、走ちゃんが自分のことだけではなく、一緒に目標に向かって進む仲間への思いやりの心をもち、ひとりの人間としてさらに成長できたことが何よりもうれしかったです。
ともだちとの出会い、ひととしての成長をもたらしてくれた経験。これからはこの大切なたからものを生かして、新しい道を歩いてほしいと思います。
仁志監督やスワローズJr.の渡会(わたらい)監督からもアドバイスがあったと思うけど、これからはもしかしたら「SAMURI JAPAN」としての肩書が、重荷になることがあるかもしれない。ライバルたちは「アイツに負けてたまるか」と真剣勝負を挑んでくるだろうし、スランプになったとき「元ジャパンがどうした …」と挑発されることもあるかもしれない。そんなとき、その「誇り」は胸の奥深く持ちつづけながら、一人の野球選手としての「新しい自分」を創っていけばいい。「もう終わったことさ」と聞き流すこころの広さをもてばいい。走ちゃんを認めてくれた監督・スタッフがいる。自信をもって進んでいけばいい。だって、悩んだら応援してくれるJAPANやSWALLOWS Jr.の仲間がいる。家族やともだちがいる。支えてくれる人たちが大勢いるじゃないか。さあ、新しい「舞台」でも自分を思いっきり表現していこう。
もう一つ、お願いがあります。
走ちゃんが松山・今治のアジア選手権大会と年末に東京で行われた「12球団トーナメント」に参加するために応援してくれたお父さん、お母さん、妹たちや弟に、「ありがとう」の言葉をたくさん贈ってください。特に、お父さんやお母さんは、昨年の8月下旬から、スワローズJr. の土・日の練習や試合のために、埼玉・戸田その他に送迎してくれました。応援団の先頭に立って、声を枯らして応援してくれたお父さん。チャンスで打席に立った走ちゃんに手を合わせて祈るお母さんの姿がありました。たくさんの仕事をもちながら、休日返上できみのために動きまわってくれました。「ありがとう」を何回言っても足りないかもしれません。足らなかった分は、これからの新しいチームでしっかり野球に取り組み、春からの「中学生」としての学校生活を充実させることで、「感謝」のこころを表してください。また妹たちや弟も、遠い松山や東京まで応援に行ってくれました。「ありがとう」の気もちを、毎日の生活の中で少しずつお返ししてください。
ジイちゃんとバァちゃんが、9泊の四国、4泊の東京旅行ができたのも走ちゃんのおかげです。ジイちゃんに関して言えば、松山という未知の街に行けて「新しいふるさと」ができたこと。「坂の上の雲ミュージアム」で司馬遼太郎さんの文学のすばらしさを再認識できたこと。正岡子規について学べて、さらに向学心がわきあがってきたこと。20数年ぶりの高知で龍馬サンに再会して、青春時代をふり返られたこと。ちょっぴりバァちゃん孝行ができたこと。そんなたくさんの忘れられない思い出ができました。また、松山で子規に会いたい。高知で龍馬さんにも会いたい。そのためにも元気でいなくちゃネ!
走ちゃん、たくさんのすばらしい「贈りもの」をだんだん!(伊予弁で「ありがとう」という意味)」
2025年1月
ジィより
(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)