【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《5》
今治市営球場は、ちょうど阪神タイガースが春季キャンプを行う沖縄・宜野座(ぎのざ)球場に似た規模の球場です。迫力満点、選手たちの熱気がビンビン伝わるバックネット裏の座席で応援することにしました。
「勝った方が決勝進出」という大一番。前日の雨の影響でグラウンドは柔らかめ(走太朗の話によると「ふかふかだった」とか)。
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15時、台湾先行でプレイボール。
1回は2アウト二塁、2回は四球と暴投などで2アウト一・三塁、3回にはエラーと盗塁で2アウト二塁と毎回ピンチの連続も、なんとか無得点に抑えました。
4回は内野安打、四球(二塁走者けん制アウト)、2失策で2アウト満塁と大ピンチ。スーくんの当たりはライトとセンター、セカンドの3者の中間地点に上がった打球。
「あっ、やられたか」… 誰もがそう思った打球に飛びついたのがセカンド・走太朗!
日本応援団はむろんのこと、ベンチの監督・コーチ・選手たちもガッツポーズ。走太朗のファインプレーでピンチを脱出しました。
つづく5回はヒットと二塁打で2アウト二・三塁とまたもやピンチ。しかし、投手陣がふんばり無失点に抑えました。対する日本は、左腕のチョウくんの速球とスライダー(?) のコンビネーションに、5回まで四球2つを選んだもののノーヒット、10三振 (空振り三振が9) で、予想外の大苦戦。
6回(最終回)表まで0対0。その裏、日本は先頭打者がチームの初安打を放ちノーアウト一塁。さあ、日本の応援団の声をかぎりの応援が始まりました。ここで打者は走太朗。
本人の「打ちたい!」という気持ち、応援する私たちの「ここでヒットだ!」という気持ちが重なります。
しかし、仁志監督のサインは「送りバント」。
走太朗はいつもの左打席でのバントではなく、「こちらの方がバントを決めやすいので」(試合後の談話)と、冷静に右打席で犠牲バントを決めて二塁に走者を進め、サヨナラ勝ちのチャンスを広げました。
チームの勝利のために自分の仕事をきちっと果たした走太朗。沸きあがる大歓声。
しかし … 後続二人がともに二塁ゴロに倒れて無得点。試合はノーアウト一・二塁から始まる「延長タイブレーク」に持ちこまれる大接戦になりました。
7回表、台湾は送りバントで1アウト二・三塁にすると、次打者の三塁内野安打で1点を先取。均衡を破ったのは台湾でした。その裏、少なくとも同点にしなければなりません。日本は先頭打者が三振。その時二塁ランナーが飛び出し、タッチアウトで2アウト。最後の打者もピッチャーゴロに …。あっという間に試合終了。日本の決勝進出は夢と消えました。
<試合結果>
この日の走太朗は「1番ライト」でスタメン出場。2三振、1犠打(送りバント)。本人にとっては不本意な結果でしたが、チャンスメイクに貢献しました。
私たち応援団も意気消沈。球場から出てくる選手たちもうなだれてバスに向かいました。その中で仲間に支えられ泣きじゃくる選手が一人。走太朗でした。ただ「おつかれさん …」と、声をかけることしかできませんでした。
翌日は中国との3位決定戦があります。テッペンには登れませんでしたが、「アジア3位」になれます。何よりこの仲間と野球ができる最後のゲーム。おいしいものをたくさん食べて、力をつけてがむしゃらに戦ってほしいと願いながら、夕闇せまる中、今治から松山へ戻りました。
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「おいしいもの」の話が出たところで、食べ物の話を。
日本の宿舎(「マイステイ松山」)の食事はバイキング形式だったそうです。走太朗の話によると、刺身・ポテトフライ・ロールケーキは大人気で、あっという間にお皿がカラになったとか。刺身は鯛が中心だったのかな?
私たちも何度も刺身や鯛めしをいただきましたが、海の幸はとてもおいしかったです。
走太朗は、朝は刺身・ベーコン・納豆・ポテト・ごはん2杯に、デザートはロールケーキにリンゴジュースがお決まりだったとか。夕食は肉類・野菜類を中心に栄養のバランスを考えて食べたようです。その選択はチームのトレーナーの方に「模範的な食事だね」と、ほめられたそうです。
ホテルの部屋は二人部屋。たびたび友だちが部屋に来て、しゃべったり食べたりして、最終日はいつの間にか4人で寝ていたそうです。おいおい、修学旅行じゃないんだぜ。うふっ、やっぱり12歳の少年たちなんですよ。疲れは取れたのかな!?
(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)