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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《2》

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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《2》

スポーツ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2024.12.17 
tags:司馬遼太郎, 坂本龍馬, 峰岸 走太朗, 峰岸走太朗 侍JAPAN U12, 桂浜, 第11回アジア野球選手権 松山

 九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす   子規

 

 11月23日から、アジア8カ国のU-12(12歳以下)代表選手が参加する「第11回アジア野球選手権」が伊予の国・松山市の、正岡子規が仲良しだった夏目漱石の名作の名がつけられた「坊っちゃんスタジアム」で開催されました。孫の走太朗が、「侍JAPAN 日本代表」の精鋭15人の一人に選ばれたのに群馬でテレビ観戦とはいきません。老体にムチ打って、応援に行きました。

 身長160㎝~170㎝、体重50㎏~60㎏の選手がほとんどの中で、153㎝、46㎏の走太朗がどんな活躍をしたのか、74歳のジィさんがその奮闘をお伝えします。同時に「旅日記」も添えましたので、お楽しみいただければと思います。


 出場国はA・Bのグループに分かれ、Aに日本、中国、フィリピン、インド。Bにチャイニーズ・タイペイ(以下「台湾」)、韓国、香港、タイ。各々リーグ戦を戦い、上位2チームが「スーパーラウンド」に進んで、覇権を争います。

 

【関連記事】12歳以下「侍ジャパン」に  北小6年の峰岸さん  野球日本代表で国際大会へ

 

⚾ 11月25日(月)

 

【日本 22ー0 インド】

 14時試合開始。18安打22点の猛攻で圧勝。7-0とリードして3回裏には打者35人11安打で一挙に15点。四球5、エラー1、パスボール2、ワイルドピッチが何と12というインドチームの守りもありました。8カ国目の参加国がなかなか決定せず、やっと参加を決めたインド。選手たちはどんな思いで戦っていたのでしょう … 。

 

 

 

 中国・フィリピン・インドの3チームは、日本に比べてあきらかに力不足でした。野球がまだマイナーな国に生まれた選手たちは野球が「おもしろく」て「楽しい」から始めたにちがいありません。大差がついたのは「今」で、2~3年後成長した彼らの後輩たちと戦ったなら、その差は縮まっているはずです。「好きこそものの上手なれ」。野球を「楽しみながら」練習してください。スポーツは「勝ち・負けだけがすべてではない」ことがわかるスポーツマンになってください。「今日の負け」が「明日の成長」への架け橋になることを祈っています。

 走太朗は「9番セカンド」で出場。三内安、四球、右走本(ランニング・ホームラン)の2打数2安打1ホームラン、打点3。打率、出塁率ともに1.000! 子規師匠と一緒にひねった俳句が「呼び水」になったのか、空には舞いませんでしたが、一塁手の横を抜き、ライトを転々とする打球で、ランニング・ホームランを打ちました!

 野球日本代表 侍ジャパン ニュース・コラム U-21 2024年11月25日の〈試合レポート〉に次のような記事が載りました。

(前略)… また、100m走の自己最速が13秒07で、小学5年時に群馬県4位、今年8位に入った峰岸が、俊足を飛ばしてランニング本塁打を放つなど、3回裏に一挙15点を奪ってダメ押し。仁志監督が「すごくひたむきで、いつも一生懸命にやる模範的な選手の1人」と姿勢面も高く評価する峰岸は、前日に自ら打撃指導を受けに仁志監督のもとへ。「もともと綺麗なスイングをしているから、もっとい振り抜いて打った方がいいんじゃないかと言ってもらいました」と話すように、そこで受けた助言をさっそく形にした。

 とてもうれしく、最高の内容でした。読んだジィは思わず涙目に … 。さすが監督、見てますなぁ!

 じつはこの日私たち夫婦は、午前の高速バスで「高知」に向かっていました。川内中(桐生市)に教員として勤務の時、司馬さんの『竜馬がゆく』(単行本5冊・文庫本8冊)を2週間ほどで読破、読了後に生まれた次男に「りょうま」と名づけるほどホレ込みました。

 当時のカリキュラムに「クラブ活動」があり、「『竜馬がゆく』を読んで、高知に行こう!」と生徒に呼びかけ、夏休みに生徒15人を連れて出かけました。今の教育界ではゼッタイ許可されないでしょう。わがままな教員の試みを理解していただいた校長先生、同行してくれた「青年の家」の所長さん、そして保護者のみなさんのおかげで、実現できました。

 胸に「FREUNDSCHAFT(フロイントシャフト)(友情) ’85 KIRYU → KOCHI」、背中に「龍馬」の大きな筆文字が入ったおそろいのTシャツを着ていきました。桂浜で大きな龍馬像を見上げたときの感激はいまだに覚えています。以来、ひとり旅を含めると5~6回、「龍馬詣で」をしました。

 すっかり近代的になったJR高知駅。駅前広場には龍馬、武市半平太、中岡慎太郎の三人の像が、さわやかな風の中で私たちを迎えてくれました。   

 桂浜に着くとRYOMA YUME HIROBAと名づけられた空間があらわれ、浦島太郎になったようでした。それもそのはず、初めて高知を訪れてから39年も経っていました。でも、再会した龍馬像はあの時と同じように、広大な太平洋を見つめていました。いや、龍馬サンの目は「わたし」も見つめてくれるのです。台座を含めて高さ約13.5mの像の下からでも、〈ある地点〉で龍馬サンを見ると「目が合う」のです! ホントなんです! 「ある地点ってどこ?」ですって? 教えませ~ん。みなさん、ぜひ桂浜へ行ってください。もしかしたら龍馬サンがウインクしながら「まっこと、よう来たねぇ。ゆっくり見とうせ」と語りかけてくれるかもしれませんよ!

「龍馬さん、ご無沙汰でした。また会えましたね。あなたは私の教員生活、いや、人生を支えてくれた大切な人たちの中の一人です。あなたに会ってから私の心には、「33+α」という文字がいつもありました。わずか33年の生涯。「今オレは、あなたより何年多く生かされているか」を自覚するためです。もう倍以上になってしまいました。「これでいいのか?」と我が人生に対して自問自答するためのキーワードです。だから、あなたはいつも私の中に生き続けています。ありがとうございます。

もしかしたら … ですが、もう《ここ》でお会いすることはできないかもしれません …。《別の場所》になるかもしれませんが、また、会いしましょう! たのしみにしています」

 寄せては引く力強い白波をまぶたの裏に写しとり、浜の小さな粒状の砂と波が奏でる音楽を記憶の森に招き入れながら、桂浜をあとにしました。

 

投=ピッチャー、捕=キャッチャー、一=一塁、二=二塁、三=三塁、遊=ショート、左=レフト、中=センター、右=ライト、左中=左中間、右中=右中間、飛=フライ、邪飛=ファウル・フライ、空振=空振り三振、見振=見逃し三振、四球=フォアボール、死球=デッドボール、直=ライナー、ゴ=ゴロ、安=ヒット、併=ダブル・プレイ、犠=犠打、犠飛=犠牲フライ、失=失策、本=ホームラン、走本=ランニング・ホームラン、2(or 3)=2(3)塁打、本盗=ホーム・スチール など。

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(つづく)

(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)   

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