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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《7》

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【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《7》

スポーツ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2025.01.27 
tags:峰岸 走太朗, 峰岸走太朗 侍JAPAN U12, 桂浜, 第11回アジア野球選手権 日本 台湾, 第11回アジア野球選手権 松山

⚾11月29日(金) 

 チーム作りをする場合、監督はじめコーチ陣は、「どんな野球をして勝つか」を考えて選手たちを選びます。「大砲」(ホームランバッターや中・長距離打者)ばかりそろえても勝てません。

 「野球は守りから」といわれるように、充実した投手陣、すぐれたインサイドワークと強肩の捕手、巧みな技術とこまかい動きができるセカンドとショート、そして広い守範囲を誇る強肩、快足のセンター … いわゆる「センター・ライン」と呼ばれる守備位置を、まず充実させるのが常道です。

 登録選手が「15人」なので、特に「投球数制限のルール」がある投手が多くいるに越したことはありません。そこで、投手はもちろんのこと、捕手をはじめ内野・外野もできるマルチプレーヤーをそろえる必要があります。

 走太朗は所属する「菱・境野フューチャーズ」、「東京ヤクルト スワローズ Jr.」、「桐生サルビア」では、主としてセンターを守り、時にはショート、ピッチャーも経験していました。「15人」は守備に関してはどこでも守れる強き「サムライ」と言えます。

 

 それがなぜ、「3位」に甘んじたのでしょう? 

 

 

少なすぎた合同練習


 日本代表の15人が発表されたのは10月10日。チームは11月2日~4日に川崎市にあるENEOSとどろきグラウンドでの合宿が初顔合わせ。

2日:13時~17時 練習。夜30分のミーテイング。

3日:8時~11時 練習、13時~15時 練習試合 対横浜ベイスターズJr. 終了後、17時まで練習。夜30分のミーティング。

4日:8時~12時 練習、練習試合 対横浜市二区中学校選抜。

 2度目の合宿は松山で、大会3日前の11月20日~22日の3日間。合計「6日間」しか練習・練習試合をせず大会に臨むという、いくら日本代表とは言えども、あまりにもお粗末な準備と言えないでしょうか?

【参考】 東京ヤクルトスワローズJr.は、8月末の団結式から12月末の「NPB ジュニアトーナメント KONAMI CUP 2014」大会(神宮球場・ベルーナドーム)直前までの4カ月余、毎週土・日に練習及び練習試合を実施しました。)

 

 

オープニング・ラウンドの緊張感を欠いた3試合


 日本の相手は、中国・フィリピン。インド。いずれも野球においては、発展途上の国々。

 

 3試合合計47得点、無失点。複数投手リレーによる「ノーヒット・ノーラン」が2試合。12歳・小学校6年生の子どもたちに「慢心するな」といっても、むずかしい面があるでしょう。

 

 一方、韓国は3試合合計46得点、無失点の3連勝。台湾も3試合合計35得点1失点の2勝1敗。楽勝でした。でも、韓国・台湾戦は1-0という大接戦で韓国が勝つという「真剣勝負」をしました。この「1試合の経験の差」が出たとも言えるのではないでしょうか。

 

 

数字で見た走太朗と「SAMURAI JAPAN U-12」


走太朗の成績

*オープニング・ラウンド(3試合)

  8打数5安打3四球 打率0.625 打点 5 本塁打 1 盗塁 3 出塁率 0.727

*スーパー・ラウンド(3試合)

  8打数1安打1死球 打率 0.125 打点 0 本塁打 0 盗塁 1 出塁率 0.333

*6試合トータル

  16打数6安打4四死球 打率 0.375 打点 5 本塁打 1 盗塁 4 出塁率 0.550

 オープニング・グラウンドにおいては、リードオフマンとしての役割を十分果たしました。守備では、仁志監督のコンバートで不慣れなセカンド(二塁手)としてプレイしました。監督はなぜ走太朗を「センター」ではなく「セカンド」として全試合起用したのか。後日、走太朗に聞いてみました。

 

 最初の合宿の時、集められた15人の選手たちは、すべてのポジションを練習したようです。彼らはマルチプレイヤーの集団ですから、練習をYouTubeで観ると、みんなどんなポジションでも素晴らしい守備力を発揮していました。あるポジションに誰を起用するのが適切かを監督はじめチームスタッフは目を凝らして見ていたのでしょう。

 

 インタビュアーが、チームでいちばん小柄で俊足の走太朗に目をつけ、仁志監督に質問している映像がありました。そのときの仁志監督の話。

「スペシャルな能力をもつ精鋭たちの集まりですから、安定感のある守備力をもっています。特に小さい子(身長が低い子、小柄な子)に、器用な子がたくさんいます。今まで小さい子を見てきましたが、いちばん守りがうまいのは小さい子です」。(仁志監督は2014年~19年、U-12の監督を経験。今回、井端弘和監督の後任で復帰)

 

 センターからセカンドへのコンバートの話は、最初の神奈川での合宿のとき、守備練習を見た仁志監督から「やったことがないポジションになるかもしれないよ」と言われたそうです。全員がいろいろなポジションで練習したとき、セカンドの守備で走太朗の守りが際立っていたのでしょう。

 

 セカンドは、ダブルプレイの練習、一・二塁間、三・遊間に飛んで来る打球の処理、そして一塁手のカバー、長打を打たれたときの外野手の返球のカットマンとしての役割など、センターを守る場合より多くの動きをしなければならない守備位置です。「今まで試合で一度も守ったことがなかったセカンドのむずかしいプレイは、コーチが教えてくれたの?」と尋ねると「チームメイトの動きを見ながらまねをしてみた」。

 

「ダブルプレイの練習は、ショートに投げるタイミングとか、逆にショートからボールを受けるタイミングとか、むずかしかったんじゃない?」と聞くと、「うまくいくのが気もちよかった」とか。

 

「すっげぇな~」と感心しました。監督は数人にセカンドをやらせてから、走太朗に任せたわけですから、やっぱりうまかったのでしょうね。大会の6試合では、守備機会8(ゴロ2、フライ6)をノーエラーで守りきりました。難しい守備位置を本当によくやってくれました。これは彼の大きな自信になったはずです。

 

 スーパー・ラウンドのバッティングは、韓国、台湾の投手陣の速球と変化球に戸惑い、すべての数字が不本意だったでしょう。これは下記を見ていただければわかりますが、走太朗だけではなくチーム全体にも言えました。

 

 特筆すべきは「出塁率」の高さです。ヒットやフォアボール、デッドボール、相手のエラーなどで「塁に出た率」のこと。これこそチームが走太朗に期待した大きな使命のひとつでした。

チームの成績

*オープニング・ラウンド

 68打数37安打 打率 0.544 得点 47 失点 0 本塁打 2 盗塁 25

*スーパー・ラウンド

 63打数16安打 打率 0.254 得点 10 失点 3 本塁打 0 盗塁 4

 対台湾、対韓国では12歳のサムライたちが、各市町村や都道府県の大会ではめったにお目にかからなかった変化球を投げられたことが、打てなかったひとつの要因でしょう。

 

「右打席では、ストレートだと思ったボールがホームベース手前でスッと外角低めへ曲がってくるので、タイミングが合わない。左打席だと外角に外れるボールかと思っていたら、スッと内角低めに流れてくるので、打ちづらかった」と走太朗が話してくれました。

 

 しかし、日本の投手陣だってすばらしかったです。対韓国戦は3投手のリレーで打線を0.222に抑え、対台湾戦では3投手で0.250。3チームの実力は紙一重でした。

 

 

主催者のサポートが少なかったのでは …


 前半の3試合は、15人の選手の家族が声を張り上げ、手拍子をして応援しましたが、やや盛り上がりに欠けました。スーパー・ラウンドでは保護者のみなさんが打ち合わせをして、子どもたちが好きな選手の応援歌などを歌って応援できました。でも数本のトランペットが鳴り響く力強い応援はできませんでした。

 

 ちなみに前述した「ジュニアトーナメント大会」では、走太朗が所属する「東京ヤクルトスワローズJr.」は、球団公認の応援団の人たちが数人駆けつけてくださり、保護者の方々と一緒にすばらしい応援を展開しました。応援では「日本一」でした(大会結果は5位)! 

 

 子どもたちはそれを力にして、精いっぱいプレイしていました。そうした子どもたちを鼓舞する配慮が、開催したNPB(日本野球機構)や開催都市の松山市・今治市に少し欠けていたのが残念でした。

 

 また、地元の『愛媛新聞』は、代表チームの愛媛県庁への表敬訪問は報じたものの、大会期間中どのページをめくっても試合の記事は、一行も見当たりませんでした(私が見落とした ― としたら申しわけありませんが …)。全国紙のスポーツ新聞も右に倣え。それって、おかしくありません!? 

 

(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)   

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