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太高・足高のOBのみなさん、「対抗戦」がなくなったのを知っていますか?

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太高・足高のOBのみなさん、「対抗戦」がなくなったのを知っていますか?

ライフ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2022.01.18 
tags:太田高校, 太田高校 足利高校 対抗戦, 男女別学 群馬, 足利高校, 足利高校 足利女子高校 統合

対抗戦を競いあった太田高校(左)と足利高校(右)。

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 2022年4月、栃木県立足利高校が足利女子高校と統合し、男女共学校として新しいスタートを切る。

 全国的にも男女別学の公立高校が多い群馬・栃木両県だが、少子化やジェンダー平等の観点から今後、共学化の流れは進んでいくだろう。実際、群馬県では「第2期高校改革推進計画」の中で生徒受け入れ体制の在り方として男女共学化の推進を表明している。それによると、SDGsの理念を踏まえ、多様性を認め合う教育を推進し、県民の理解を得ながら、今後の高校教育改革の中で男女共学化を推進するとしている。

 その男女共学化の流れの中で、令和を迎えることなくピリオドを打つことになった伝統校の学校行事がある。太田高校と足利高校の間で行われていた「対抗戦」だ。

 

■太高・足高の「対抗戦」はどういう経緯で始まったのか

 「対抗戦」の歴史は1984年までさかのぼる。当時、太田高校の校長だった小松原功男(力は刀)氏が足利高校に「太高と足高で前高と高高のような定期対抗戦を行いたい」という申し入れをしたことがはじまりだ。

 なぜ隣県にある足利高校が選ばれたのか。それには太田市と足利市の地理的・歴史的つながりが関係している。

 太田市と足利市は県境を挟んで隣接しており、江戸時代は例幣使街道で結ばれていた。現在も太田―足利間は国道で結ばれ、ともに東武伊勢崎線沿線にある。人の往来がさかんで経済的・文化的なつながりが深い。歴史を紐解くと、太田市ゆかりの新田義貞と足利市ゆかりの足利尊氏は因縁の関係でもある。

 進学校としても似たような性格を持つ太田高校と足利高校が交流戦を行うことになったのはこうした背景があった。

 小松原元校長の申し入れ後、両校間での数回の打ち合わせを経て、1985年9月11日、第1回対抗戦が開催されることになる。

 以後、会場を互いに移しながら、全生徒同士がさまざまな競技を競い合う「本戦」は3年に1回(2010年からは2年に1回)、11の部活動同士が競い合う「部戦」は毎年行われてきた。

 「本戦」は一般戦と部戦で構成され、一般戦の種目はソフトボール、サッカー、バスケットボール、バレー、オセロ、しょぎ、クイズ、ドッジボール、卓球、ソフトテニス、リレー、綱引き、長縄。全体の勝敗は独自に決めた対抗戦ポイントで計算され、それにより勝敗が決定された。

【写真】対抗戦の様子(足利高校ホームページより)

太高 VS 足高 対抗戦 全記録

実施年 本戦回数 会場 太田高校 足利高校
1985 S60 第1回 太田 141 × 67
1986 S61 第2回 足利 × 232 240
1989 H1 第3回 太田 291 × 213
1992 H4 第4回 足利 222 × 168
1995 H7 第5回 太田 × 168 210
1998 H10 第6回 足利 275 × 165
2001 H13 第7回 太田 × 258 325
2004 H16 第8回 足利 × 237 309
2007 H19 第9回 太田 288 × 208
2010 H22 第10回 足利 × 264 351
2012 H24 第11回 太田 × 240 375
2014 H26 第12回 足利 354 × 233
2016 H28 第13回 太田 × 244 350
2018 H30 第14回 足利 231 × 225

 

■共学化の流れの中で

  しかしながら、昭和、平成と時代をまたいで行われてきた伝統校同士の「対抗戦」も令和には開催されることなく、幕を閉じることになった。理由は足利高校と足利女子高校が統合されるため。学校の形態が変われば、いままで同様には運営できないという判断からだった。

 「足利高校が足利女子高校と統合され共学化になることで、足高の側からの申し入れで大会自体が終わりになることが決まりました。本当は2020年の大会がラストになる予定でしたが、コロナ禍で中止を余儀なくされ、事実上、2018年で幕を閉じる形になりました」

 こう話すのは太田高校の秋田千芳教頭だ。

 幻の最終決戦は2020年7月に太田高校で行われる予定だった。それまでの戦績は7勝7敗で両校の引き分け。中止にならなければ、この大会で「決着」がつくはずだったが、尻切れトンボのような形での幕引きとなってしまった。

 足利高校の武藤敬一教頭は「2020年の大会に関しては、生徒たちも、ずいぶん準備もしていたし、新聞を発行したりして盛り上がっていたんですが…」と苦渋の選択だったと振り返る。

 当時、対抗戦の運営に携わっていた足利高校の石井教諭は「最後の大会で勝って終わりにしたかった。やるからには勝ちたいですしね」と最後の大会が中止になってしまったことを残念がる。

   令和に入って、以前よりも「ジェンダー平等」という言葉を聞く機会が多くなった。教育現場での性的少数者への配慮も進む。昨年12月26日の共同通信の報道によれば、全国の公立高校入試では2022年度入試までに東京都を除く46道府県教育委員会で入学願書の受験生の性別欄が廃止されるという。少子化の進行やこうした社会全体の流れの中で公立の別学校はますます減少していくだろう。高校の共学化や統廃合の中で、変更を余儀なくされたり、中止せざるを得なくなる学校行事も出てくる。「対抗戦」はまさにその一例だ。

 両校の話では、「対抗戦」が今後、再開される予定はないそうだ。もちろん、太田高校が将来的に共学化されたら、可能性はゼロではないかもしれないが、それは希望的観測にすぎない。だとすれば、引き分けの形での幕引きは、「禍根」を残さない美しい終わりだったのかもしれない。

(編集部=峯岸武司)

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