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【シリーズ】大人バトン◆絵描きに憧れた娘と酒屋の父のワインの旅①(ワインインポーター・会社経営 金井麻紀子さん)

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【シリーズ】大人バトン◆絵描きに憧れた娘と酒屋の父のワインの旅①(ワインインポーター・会社経営 金井麻紀子さん)

ライフ

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2024.12.08 
tags:minimu 足利, かない屋, マキ・コレ・ワイン, 大人のバトン, 金井麻紀子

 大人になったからこそ、自分の若い頃を振り返り、若者たちに伝えたいことがある。「今の若い奴は・・・」といった説教なんかじゃない、もっと大切なもの。失敗や成功も含めて未来の若者につないでいきたい心のあり方や生き方。先人たちから受け取ったバトンを次につなぐことで、私たちは歴史を紡いできた。第一線で活躍する「大人たち」からのバトンを紹介するシリーズ「大人バトン」の2回目はワインインポーターであり会社経営者の金井麻紀子さんです。 

 

【写真】ワインインポーターの金井麻紀子さん(カーヴかない屋にて)

撮影・浦島大介

 フランス滞在十数年、日本人初のディプロム(ワインの醸造責任者)の資格を持つ金井麻紀子さんは、約300ものワイン生産者の中から厳選して、自分が一生飲み続けたいと思える優良ワインを日本に紹介しつづけてきた。そのワインは「マキ・コレ・ワイン」として親しまれ、国内の数多くの酒屋やフレンチレストランなどから信頼を寄せられている。
 昨年、父親の強さんが亡くなり、現在はカーヴかない屋(桐生市)の五代目の店主としての顔も持っている麻紀子さんだが、10代の頃は全く違う未来を思い描いていた。

 

 

絵描きに憧れた青春時代



 「もともとは絵描きを目指していたんです。酒屋を継ぐ気なんて全くなくて」。
 幼少の頃から絵画教室に通い、将来は美術系の仕事に憧れを抱いていた。高校時代も地元桐生の画家・松崎寛のアトリエでデッサンを習うなど、絵にどっぷり浸る日常だった。
「(私が中学生だった80年代は)糸井重里を筆頭に宣伝広告などの商業デザインが脚光をあびていて、絵描きでなければ、そういう仕事もいいなと思っていました。家業には全く興味はなかったですね」

 

 

一流のワインの知識が飛び交う家庭環境



 織物の全盛期の桐生は市内に100件以上ある酒屋がみんな暮らしているほど景気が良かった。そんな中でもかない屋は明治時代に創業した歴史のある酒屋だった。
「私が小さい頃は、父とおじが、兄弟で経営していて、三代目のおじが地酒を担当し、四代目になる父がワインをやっていました」。
 父の強さんは赤玉ポートワインが主流の時代に、ドイツやフランスの本格ワインに目をつけた。横浜や東京とのつながりが深かった桐生にはフレンチをはじめとする洋食店が賑わっていた。そういう背景もあり本格的なフランスのワインには需要があった。
 中学生の頃、家にいても店にいても、毎日ワインの名前が飛び交うような環境だった。
「夜、お客さんが家に来てワイン会やったりするわけですよ。自分が夕飯で下の階に降りてくるとみんながビンテージ比べて真剣に飲んでるんです。そういう環境だったから門前の小僧じゃないけど、基礎的なワインの知識が自然と身についちゃったんですね」
 勉強熱心な強さんは日本のワイン研究の第一人者・岩野貞雄氏に師事。父親が娘に語るワインの話は当時の最先端の知識だった。「ワインはブドウから作られるお酒だから、果実味がなければワインじゃない」。門前の小僧で聞きかじったワインの話はその後の麻紀子さんの人生を大きく動かしていく。

 

 

本格的な美術を学ぶため渡仏を決意



 高校は地元の公立高校を目指していたが、団塊ジュニアの世代で倍率も高く、受験に失敗している。第2志望の足利学園高校(現・白鷗大学足利高校)に進学を決めた。「当時はショックではありましたが、桐生という環境から離れられたのは今振り返ればむしろよかったと思います」と麻紀子さんは述懐する。

 高校時代も絵の勉強は続けた。内部進学で白鷗大学へ進む選択肢もあったが、東京と美大への憧れが強く、その道は選ばなかった。しかし、美大のハードルは想像以上に高かった。高校3年生時、受験した美大は全滅。再び受験で苦渋をなめる。小さな頃からの絵描きの夢。簡単には諦められなかった。麻紀子さんは浪人して再度美大を志す決断をする。

 現役で合格した同級生が楽しそうに大学生活を始める。受験につまずいた敗北感。浪人中は心に揺らぎは生まれやすい時期である。麻紀子さんにも揺らぎが襲った。浪人中、ふと小学校の卒業文集に書いた言葉がよみがえった。現実逃避だったのかもしれない。でも、文集に記した将来の夢「行きたい国 フランス なりたい職業 芸術家」という言葉はどんどん心の中に広がっていった。留学してフランスで美術を学びたいという思いを強くしていく。
 ある日、そのことを父親に相談したら、二つ返事で「いいよ」となり、トントン拍子でフランス行きが決まった。こうして1993年フランスのボーザール(国立美術大学)を目指すために、ブルゴーニュ大学付属語学学校に入学した。

 

 

金井家で蒔かれたワインの「種」はフランスで芽吹く



 ブルゴーニュはボルドーと並んでワインの有名な産地だった。入学した語学学校には東京からワインを学ぶため有名なソムリエなどがたくさん集まっていた。日々交わされるワイン談義に20歳そこそこの麻紀子さんが臆することなくプロ並みの知識を披露できたのは、ワインに囲まれた環境があったからこそだ。門前の小僧はワインの本場で一目置かれる存在になる。
 当時はフランスでもアメリカナイズされたタンニンがしっかりして樽のお化粧がしてあるようなワインが持てはやされていた。
「ワインはブドウから作られるお酒だから、果実味がなければワインじゃない」。アメリカナイズされた流行のワインにも堂々と意見した。ちょうどフランスでもアメリカナイズされたワインは本物ではないという流れが生まれつつあった時期。現地で「日本の女の子がすごいこと言ってる」と評判になった。(つづく)

プロフィール

ワイン インポーター カーヴかないや社長 金井麻紀子
1973年群馬県桐生市生まれ。足利学園高校(現・白鷗大学足利高校)卒業後、渡仏。ボーヌの国立農業専門学校でワイン造りから販売まで学び、ディプロム(醸造責任者の資格)取得。現在、ワインインポーターとして日本に優良なワインを紹介している。

 

※本記事はminimuに掲載された「素晴らしきヴィニュロンたちを求めて ワインに魅せられて旅を続ける」を再構成して掲載しています。

(取材・構成=峯岸 武司)

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