「100年先を見据えた持続可能な学び舎の構築へ」 若きリーダーが描く、少子化時代の学校経営戦略ー桐丘学園理事長・関﨑亮氏に聞く
学校法人桐丘学園(群馬県みどり市)は、26年4月より設置校である桐生大学の名称を「ぐんま未来大学」に変更する。これに伴い、桐生大学短期大学部は「ぐんま未来大学短期大学部」に、桐生大学附属幼稚園は「ぐんま未来大学附属幼稚園」へと名称を変更。さらに、桐生大学附属中学校は「桐生第一中学校」と改称され、中高一貫教育体制の強化を図る。そして、27年春には、太田駅前に太田キャンパスを開校する予定だ。
少子化の進む中、攻めの学園経営を進める思いを、同学園の関﨑亮理事長にインタビューした。
【写真】インタビューに答える関﨑理事長(桐生大学にて)
――理事長さんというともっとお年を召されているかと思ったのですが、お若くてびっくりしました。
「はい。現在、39歳です。私自身は医師として東京の大学病院で臨床医として勤務をしていました。母が本学の理事長をしていた縁もあり12年前に学校法人の経営に携わることになりました。学校経営者の中ではかなり年齢が若いですね。でも、そこが自分の強みだと思っています」
――いきなり理事長職に就かれたんですか?
「まさか(笑)。教師として入職したわけではないのですが、はじめは改革担当の職員として桐生第一高校で先生方と一緒に校門指導させてもらったりしていました。27、8の若造だったので、生徒からは『あの人、先生なの? 先生じゃないの?』みたいな好奇の目にさらされて、うまく立ち回れないところから始まりました。でも、生徒との関係性ができてくると、みんな素直で良い子なんですよね。その意味で新任の先生の感覚も分かりましたし、やりがいだけではない教職の大変さを知ることができ、今でも自分の財産になっています」
――少子化が進む中、地方の私立大学の経営はますます厳しくなってくると思われますが、そんな中、校名変更、新キャンパス(太田)立ち上げなど、攻めの戦略をとられている意図はなんでしょう?
「学齢人口の減少というのは十数年前から議論されていて、少子化時代にあって、学園の強みは何かということを見つめ直したところが起点です。30年後、40年後の学園を見据えたとき、東毛地域、両毛地域の教育の拠点とならないと生き残っていけないのではないかという危機感が自分の中には常にあります。そういった点から、この先100年後まで学園が成長し続けるた
【画像】27年4月に新設される太田キャンパスのイメージパース(同大ホームページより)
めに、『今、一手を打たないとまずいのではないか』というような思いに至りました。学齢人口が減少するからといって、受け身の経営では縮小しかなくなりますよね。たしかに太田キャンパスの新設は大きな投資ですが、この先を考えたときに必要な決断だと思っています」
――大学名がぐんま未来大学に変更される一方、桐生第一という名称も残りました。
「我々が『今回、太田に出る』という捉えられ方をされてしまうこともあるんですけど、決してそういうことではありません。リブランディングを進める中で、名称を一貫させるという話は持ち上がりましたが、私自身は大学と中高にはそれぞれ地域に対する役割の違いがあると思うんです。本学園は桐生裁縫専門女学館として創設されました。桐生が発祥の地なので、桐生という名称は残していきたいし、大切にしていきたいという思いはこれからも変わりません。『桐生第一』という名前を残したのはそうした思いからです。もちろん『桐生第一高校』自体がすでに認知度が高いですし、そういう高校としての歴史や伝統にも配慮しました」
――附属中を「桐生第一中学校」にしたのは?
「中高の名称を統一することで、より中高一貫教育が強化できるような体制をとっていきたいという狙いがあります。たとえば、6ヵ年の中高一貫教育では学習場面における進路指導や部活動場面における技術指導などでも指導の幅が拡がりますし、アイデンティティの確立においても、気持ちに余裕をもって自分自身と向き合えることはとても大事なことと思います」
――その中高のキャッチフレーズを「FUN」にはどんな意味が?
「本校の強みは何かを見つめ直しました。桐生第一は、先生方も生徒も『楽しむこと』ができる学校であることが強みです。従来の学校経営は偏差値(学力)とスポーツが軸にあるわけですが、『楽しめる学校』という価値基準は珍しいですし、(他校との)差別化につながります。『FUN』を前面に押し出したのはそういう狙いです。『楽しむということ』を学校として全力で応援していこうということです」
――一方、大学の名称は変更されました。
「大学の名称を『ぐんま未来大学』と改称するのは、みどりキャンパスと太田キャンパスの2拠点制になることがきっかけです。大学は少子化が進む中で、学園のブランドリーダーとしてより広く開かれた存在である必要があります。広域圏で学園が地域と共に成長していくことを考えたとき、特定の地域を指し示した校名ではなく、東毛エリアを起点に、より広い地域の幅広い人たちから共感や親しみを持って頂き、応援して頂けるような校名にしたいという意図で名称変更を決断しました。群馬から日本の未来に光を照らしていくんだという思いが『ぐんま未来大学』には込められています」
――大学名の変更には学生からの反応は?
「やっぱり学生含めて通っている学校の校名が変わるってインパクトありますよね。発表するまで正直、不安がなかったと言えば嘘になります。学長から学生に発表された際、学生から拍手が起こったという話を聞いて、嬉しかったですね。
――幼稚園は「大学附属幼稚園」なんですね。
「大学には医療系の学部やデザイン系の学科があります。こうした大学の持っているリソースを幼児教育に活用できるわけです。大学のリソースを生かしながら運営されている幼稚園だということを強調したかったわけです。幼稚園と短大と大学を1つのブランド、中高を1つのブランドという形で整理させていただいたという感じですかね」
――最後にひとことお願いします。
「もっと広い視点で本学園が地域と連携をしながらまちづくりに歩んでいけるような教育拠点に育てていきたいですね。学校がまちに存在することで、若者が集まり、雇用が生まれ、地域全体の活性化につながる。そうした好循環を生み出し、他の地域にも波及するような取り組みを進めていきたいですね。変革の時期においても、教育の本質を見失うことなく、社会に貢献できる人材の育成を続けていきたいと思います」
取材を終えて
関﨑理事長の言葉の端々からは、若さゆえの柔軟な発想と、未来に対する真剣な危機意識、そして地域への深い愛着が感じられた。名称変更やキャンパス新設は、単なるリブランディングではなく、少子化時代において学園が地域と共に生き残り、さらに発展していくための覚悟ある選択だったと言える。「いままで」も大切にしながら、「これから」を見据えていきたいという学園の改革への強い志を感じた。
(聞き手=峯岸武司)
関連記事
編集部より 記事は配信日時点での情報です。