【私小説】Nの青春<第5章> その1
第5章
何を着るかは、世界に向かって自分をどう表現するかということよ。 」
What you wear is how you present yourself to the world .
~ ミウッチャ・プラダ ~
Nは幼い頃ずっと病弱だった。
「北風が吹いたな、と思ったらお前はもう熱を出していたからね。」と、高校生になってすっかり身体が大きくなりしっかり体力も付いたNに向かって祖母がしみじみと語ったくらいだ。
だから物心がついた頃から中学1年生まで毎年夏になると祖父母はNを群馬の温泉に一週間の“湯治”に連れて行ってくれていた。(ただし小学2年生の夏だけは行けなかった。6月の始めから8月の終わりまでの三ヶ月間ずっとNは病気で“寝たきり”の生活を送っていたからだ。)そしてこの “夏の避暑地”での様々な体験がNの精神的な成長にとても大きな影響を与えることになるのだが、このことはまた後で語ることにしよう。
Nは、特にお腹が弱かった。胃の方は丈夫だったが下の腸の方がとても敏感だった。だから小学生の時には2時間目と3時間目の間の休み時間はトイレの“個室”の中で過すことが多かった。しかし中学2年生の秋から深夜遅くまで勉強してギリギリまで寝て朝食抜きで登校するようになったら、学校にいる間に“個室”に行くようなことはまったく無くなった。(Nは大人になった今でも朝食が苦手だ。)
ところが高校生になったNは背も伸びて体力も付いてきたのは良かったのだが、ここで一つ問題が起こった。相変わらず朝食を抜いて登校はするのだが昼まで保(も)つはずもなく、2時間目と3時間目の間の休み時間が今度は“早弁”の時間になった。そしてまたトイレの問題が浮上してきた。
「おまえはすぐにお腹が冷えるんだよ。だから腹巻を巻いて学校に行けばいい。いつも寝るときには腹巻を巻いて寝てるだろう、だからそのまま学校に行けばいいだけのことじゃないか。」との祖母の提案にNは即座に返した。
「イヤだよ、腹巻なんて。恥ずかしい!!」
祖母も即座に言い返してきた。
「じゃあ、サラシを巻いて行け。腹が冷えなけりゃ、何だって構いやしないんだから。」と。
祖母の提案はいつだって核心を突くものだった。
(つづく)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師