【私小説】Nの青春<第6章> その1
第5章
ホントのことを言ったら オリコウになれない。
ホントのことを言ったら あまりにも悲しい。
~ いまいずみあきら 唄:新谷のり子 ~
高3の春4月、NはK高の<文系クラス>にいた。
『退学』を思いとどまっての<文転>だったので、気持ちは相当に落ち込んでいた。なにしろ「G大の医学部ならおつりがくる」とまで言われていた中学3年生の秋からの、みごとなまでの転落だったのだから。
当時のK高は(たぶん他の高校も同じだったはずだが)現在とは違って高校3年になるときに生徒それぞれの“適性”に合わせて<文理選択>をおこなっていた。1年から2年になるときに1回だけ「ホームルーム」のクラス分けをおこなった後、2年ではクラスも履修教科も全員一緒で、3年は文理選択をした後もホームルームと体育・音楽や国語・英語などの「必修科目」は全員一緒に授業を受けつつも文理の<選択科目>の時だけは教室を移動してそれぞれの進路に対応した科目を履修する仕組みになっていた。
最初の<世界史>の授業で担当のK先生がこう切り出して言った。
「君たちの気持ちは良くわかるよ。なにしろ私もこの学校で<文系>だったからね。この学校では<文系>は“K高生扱い”どころか“人間扱い”すらされないからね。でもね、君たちも大人になってみると分かるんだけどね。結局<理系>の奴らは出世してもせいぜい工場長くらいなものでね、君たち<文系>はちゃんと勉強して有名大学に進学すれば会社の重役にだってなれるんだからね。落ち込んでないでしっかり勉強してゆこうね。」
オトナになって周囲を見渡せば確かにその通りなのだけれど、落ち込みのド真ん中にいるNたちにとってはその言葉はレクイエムには程遠いもので、むしろ切り取られた一部の言葉の“K高生扱い”されていない現実と“人間扱い”さえしていない自分自身の不甲斐なさを痛いほど知らしめられた一瞬(ひととき)であった。
(つづく)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師