【私小説】Nの青春<第5章> その4
第5章
何を着るかは、世界に向かって自分をどう表現するかということよ。 」
What you wear is how you present yourself to the world .
~ ミウッチャ・プラダ ~
(その3を読む)
うなぎ屋の息子のIは、「Nのサラシ」以前からその身だしなみには個性が光っていた。やはりまだ当時は流行っていなかった「コロン」を体中に振り掛けて登校していた。Nにとってはうなぎの香ばしい匂いの方が良かったのだが、Iにとってはそれがイヤだったのか、それを打ち消すほどの強い香りを学生服の周りにも漂わせていた。シャツは一度「アロハ」を着て登校して来て、さすがにこれはダメだということで先生から厳重注意を受けていた。その前後だったか「Gパン」をはいて来て注意(禁止)をされてもいた。
そのIが、「サラシ仲間」になった。むしろNよりも積極的に“おしゃれ”な巻き方を工夫してきて、逆にNに教えてくれたりもした。
ゲタを履いて登校するのはIの方が先だったが、それもNが中3の時から自宅での普段の履物がゲタであることをIに話してからのことだった。Iは普通のゲタだったが、Iの後からとはいえ、Nが登校時に履いていたのは祖母から誕生日のプレゼントにもらった「高ゲタ」だった。(こんなことでマウントを取ってどうする!)もちろんNもIも白いワイシャツではなく、二人共それぞれの個性に似合ったカラーワイシャツやポロシャツで登校していた。
冬、Nは他の生徒が学生服の上にコートを羽織って登校するのを横目に、自分は祖母の手作りの「綿入れの半纏」を颯爽と身に着けて登校した。その半纏は黒い色をしていて学生服とは馴染んでいたので特に違和感はなかったが、前を閉じることができなかったので空っ風の強い日などは防寒具としてはほとんど役に立たなかった。自宅に帰ると学生服を脱ぎ、正絹の丹前に三尺帯という和装で過ごした。
「身だしなみ」と言えるかどうか分からないが、高校3年生で学業的には完全に落ちこぼれてしまっていたNは祖母にあることを相談した。
「刺青を入れたいんだけど、いいかな。」「タトゥーみないなチャチなものじゃなくて、赤や青や黒を使って、背中一面にでっかく彫ってもらおうと思うんだ。」
それに対して祖母は表情を変えずにこう応えた。
「おまえがそうしたいんだったらすればいいさ。だけどね、おまえ、アトピー持ってるだろ。そんな肌に墨なんか入れたらちゃんとした絵になるんかね。」
「盲腸のときだって、傷口が塞がるのにかなり時間がかかったし、それに、傷口もキレイに合わさってはいないんだろう。」
「もう一度よく考えてからにしな。」
祖母の提案はいつだって核心を突くものだった。
その後のNの肌には大学受験が終わった春先に湯たんぽで作った「低温火傷」の丸くて大きな黒い模様以外のものは何一つ刻まれてはいない。
(この章おわり)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師