【寄稿】走太朗からの贈りもの ジィの「侍ジャパン U12」観戦記&旅日記《1》
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 子規
11月23日から、アジア8カ国のU-12(12歳以下)代表選手が参加する「第11回アジア野球選手権」が伊予の国・松山市の、正岡子規が仲良しだった夏目漱石の名作の名がつけられた「坊っちゃんスタジアム」で開催されました。孫の走太朗が、「侍JAPAN 日本代表」の精鋭15人の一人に選ばれたのに群馬でテレビ観戦とはいきません。老体にムチ打って、応援に行きました。
身長160㎝~170㎝、体重50㎏~60㎏の選手がほとんどの中で、153㎝、46㎏の走太朗がどんな活躍をしたのか、74歳のジィさんがその奮闘をお伝えします。同時に「旅日記」も添えましたので、お楽しみいただければと思います。
出場国はA・Bのグループに分かれ、Aに日本、中国、フィリピン、インド。Bにチャイニーズ・タイペイ(以下「台湾」)、韓国、香港、タイ。各々リーグ戦を戦い、上位2チームが「スーパーラウンド」に進んで、覇権を争います。
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⚾ 11月23日(土)
8時過ぎ、ホテルから路面電車でJR 松山駅へ。市坪(いちつぼ)駅で下車。大きな公園の中に地方球場としては別格の「坊ちゃんスタジアム」の威容が見えます。内野席へのゲートをくぐると目の前に開けたのは、土と天然芝の見事なグラウンド。スコアボードには国際大会らしく、アジア野球連盟と日本と中国の国旗が秋の風にたなびいていました。内野席は2階まであり、全席「背もたれがあるシート」。甲子園の一部内野席とアルプススタンド、外野席は「背もたれなしのベンチ」なのに! 座席は「坊ちゃん」の勝ちぞなもし(伊予弁です)!
10:30、試合開始。走太朗は「1番セカンド」でスタメン出場。所属する《菱・境野フューチャーズ》、《桐生サルビア》や《東京ヤクルトスワローズJr.》では「センター」が定位置の彼にとっては、まったく初めての守備位置を仁志監督に与えられたので、ジィとしてはチョット不安でした。
4回コールド勝ち。強力打線が11安打で16点を奪い盗塁も12。守っても4投手の継投で中国打線をノーヒットノーランで完封。日本の目指す試合内容で中国を圧倒した試合でした。それにしても中国の13人の打者が10三振、守っては3エラー、10四球を与え、ワイルドピッチ(投手の暴投)3、12の盗塁をされる守りでは、野球になりません。勝ってもよろこび半分。でも中国の選手は最後まで一生けんめいプレイする姿を見せ、スタンドからは大きな拍手がおくられました。
走太朗は、3打数2安打2打点1盗塁(中飛、投安、中安、四球)打率0.667出塁率0.750 で、リードオフマンの役割を立派に果たしました。一度しかなかった守備機会はゴロを落ち着いて処理し、ジィはひと安心。
⚾11月24日(日)
この日の試合は14時開始。そこで午前中はホテルから近くの「坂の上の雲ミュージアム」へ。ご存知、司馬遼太郎さんの名作で、「四国松山出身の三人の男たち ― 秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟と正岡子規 ― を中心に明治の群像を描く長編小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアムで、司馬遼ファンには必見の施設です。
建物は「歴史と共に回遊しながら明治の精神を感じ、一人一人が思索することのできる空間となるよう心がけた」という日本を代表する建築家の一人・安藤忠雄氏の設計。各階をつなぐスロープは、まさに「坂」を上るように展示室をつないでいます。
明治日本の姿が資料と映像を用いて解説され、三人の主人公達のエピソードやゆかりの資料が盛りだくさんに展示されています。時間が経つのを忘れます。子規像と一緒に俳句をつくるコーナーあり。そこで、一句。
【フィリピン 0-9 日本】
序盤は凡打がつづいた打線も、後半タイムリーが出始め、8安打9得点。投げては6投手の継投で2安打完封。「2番セカンド」で出場した走太朗は、遊ゴ、四球、遊内安、遊ゴの3打数1安打1打点2盗塁。打率0.333、出塁率0.500。2盗塁で彼の持ち味の一端を見せてくれました。
投=ピッチャー、捕=キャッチャー、一=一塁、二=二塁、三=三塁、遊=ショート、左=レフト、中=センター、右=ライト、左中=左中間、右中=右中間、飛=フライ、邪飛=ファウル・フライ、空振=空振り三振、見振=見逃し三振、四球=フォアボール、死球=デッドボール、直=ライナー、ゴ=ゴロ、安=ヒット、併=ダブル・プレイ、犠=犠打、犠飛=犠牲フライ、失=失策、本=ホームラン、走本=ランニング・ホームラン、2(or 3)=2(3)塁打、本盗=ホーム・スチール など。
(つづく)
(文=走太朗のジィこと峰岸克樹)