【子育て世代のぶっちゃけ座談会】いまだに学校は黙食って、どーなの?(2)
学校のことや勉強のことなど、子どもの教育をめぐる親の悩みは尽きないもの。「よその家ではどんなふうに考えているのか知りたい」。そんな声に応えて、みんなの学校新聞編集局では、同じ境遇の親たちに集まっていただき、本音で語り合ってもらう場を設けました。題して「子育て世代のぶっちゃけ座談会」。今回のテーマは「いまだに学校は黙食って、どーなの?」です。
◆参加者のプロフィール(名前は仮名です)
えみこさん 今回の「黙食」の話を持ち込んだ張本人
かえでさん 中2の男の子の母。桐生市在住。
かなさん 中1の女の子と高3の男の子の母。桐生市在住。
やよいさん 中1と高3の女の子の母。太田市在住。
ももさん 中2と高3の男の子の母。太田市在住。
司会 みんなの学校新聞編集長 峯岸 武司
(座談会取材は1月26日、桐生市内で行われた)
司会
学校の中での食事と話が少し変わりますが、ご自宅とかだと、自分たちが子どもの時っていうのは、 共働きも少なくて、母親がいつも家にいたり、場合によってはおじいちゃん、おばあちゃんもいて、みんなで一緒に食事を囲むっていうのが当たり前だったと思うんです。今は核家族で共働き家庭が大半なので、ご家庭での食事はどんな感じでしょうか?
かえで
食べるっていうことって生きていく上ですごく大事な部分を占めているって私は思っています。 どんなに辛いことがあったりとか、悲しいことがあったりとか、学校で嫌なことがあったりとかしても、とりあえず食べるっていうことだけでも出来ていれば、生きていける。その食べる時間を家族みんなで共有できるのが、理想だと思っています。きちんと家族みんなが揃ってるっていう食卓に憧れはあるけど、現実、なかなか難しいですよね。特に私はシングルなので…。
司会
皆さんのお宅も同じような感じだったりしますか?
(一同うなづく)
司会
そうすると、みんなでワイワイ、テーブル囲って食べる楽しさを経験する場として、保護者目線でいうと「せめて学校だけでも」っていう思いがあったりするんじゃないですか?
もも
学校には給食を用意してもらってることだけで、もうすでにめっちゃ感謝しています。だから、理想はあるけれど、先生が大変なのも知ってるし、時間がないのも分かるし、学校にそれ以上求めるのはなかなか難しいだろうなって気がします。
うちの子は家では魚は食べないけれど、給食だと食べるみたいなので、栄養のバランスのとれた食事を提供してもらっているだけで、ありがたいです。
やよい
ももさんの言うように食べることは生きていくのにとっても大事なことですよね。「いただきます」という言葉にはその命をいただくことへの感謝、作ってくださった方への感謝の気持ちがあると思います。きちんとそういう感謝の気持ちを持って食事してるんだろうか、ただお腹を満たすために食べてるんだろうか、とかそういうことを親としては気にしちゃいますね。
司会
食育的なところですね。
やよい
先生が時間に追われているのは分かるんですけど、「食べることをないがしろにしてはいないか」ということは気になります。
司会
学校給食の場においてということですよね?
やよい
そうです。ちょっとお話が大きくなっちゃうんですけど…。だから、黙食はどうなのかなって思います。
司会
向かい合わせでなくても、一斉にいただきますっていう風にやってるのか、それとも、時間ないから準備できた人から食べていいよみたいな感じでやっているのか。 学校でどういう風に食べているか分からないですけどね。もしそうだとしたら、ちょっと嫌ですよね。
(編集部注)中学校関係者の取材で、一斉に「いただきます」をして食べているとの回答が得られた。
かえで
もしそうだとしたら、食事が作業みたいになっちゃいますよね。
そういえば、私が子どもと一緒に食べていた時に、私がすごくおしゃべりしていて、うちの子、まだ小学校だったんですけど、「ママ、しーっ」とか言われたことがあるんです。
「食べている時は、そんなに喋っちゃダメなんだよ」みたいなことを、息子が小5ぐらいの時に言われたんですよ。もうすでにコロナで黙食になっていた頃です。私、「えっ?」と思って。
司会
なるほど
かえで
その時に「ご飯の時間っていうのは、その日にあったこととかを楽しくお話したり、コミュニケーションを取るものなんだよ。だから、おしゃべりしてもいいんだよ」みたいなことを子どもに話したことがありました。
やよい
(子どもに)「食べてる時、喋っちゃダメなんだよ」みたいに言われた経験、私にもあります。
もも
静かに食事するのが正しいみたいな環境で育ってしまっている感じなんですかね。
司会
学校で黙食がいまも行われているとすると、3~4年はそんな状況が続いているんでしょうから、それが当たり前の価値観になってしまっても不思議ではないですよね。
かえで
うちの子は自分からいっぱい喋るようなタイプの子ではないし、自分の家の環境もそうなので、(学校生活の中で)経験値を増やしてあげたいっていう思いがあります。
給食の時間ってコミュニケーション能力を養ったり、経験を積んだりする大切な時間だと思います。いろんなことを喋りながら、コミュニケーションを取りながら食べる。自分から話すことができなくても、いっぱい喋ってくれる子の話を聞いて、食べてる時に人の話を聞いて「ふふっ」て笑っちゃうとか、話を振られて、みんなの輪に入ることができるとか…。
いろんな家庭環境がある今だからこそ、給食の時間の使い方を考えてもらえるとありがたいですね。学校の先生も大変だろうけど、その辺りもう一回話し合ってほしいかも。
かな
「お前、食べ方汚いよ」って友達から指摘されて、「俺、食べ方汚いんだ」って気づける。親に言われても言うことを聞かないから、そういう友達同士のコミュニケーションがあるだけでも意味がありますよね。
もも
(黙食で)前を向いて食べていたら、そういうこと分からないですもんね。
かな
そうそう。本当、そうなんです。
かえで
親子じゃない関係の方がすごく影響を及ぼすと思います。
やよい
そうですよね。
司会
昔だったらおじいちゃんやおばあちゃんが家にいて、食べ方とか箸の持ち方とかマナーとか、結構うるさく言われました。多分、核家族化や共働き家庭が増え、個食化する中で、そういったことがあまり家庭内で機能していないと思うので、そういう意味では学校への期待は大きいですよね?
かえで
そうですね。黙食ひとつとってみても、(コロナ禍が)子どもたちから学びの場や経験の場っていうのをすごく奪ってしまってる気がします。
もも
同じものとかを食べると、それだけでも何か一体感とか生まれますよね。「美味しいね」、「これちょっと硬いねとか」、そういうことで仲良くなれることってあると思うんです。
司会
お母さんたちからみて、学校の給食の時間というのは学ぶきっかけがたくさんある場という認識ですよね。その意味で、黙食というのは大切な機会を奪ってしまっているということでしょうか。コミュニケーションをとるきっかけを作るためにも「みんなでおしゃべりしながら過ごす」場をもう一度学校には作ってもらいたいということですよね。
本日はありがとうございました。
(おわり)
(取材・構成=峯岸武司)