【教育コラム】押すなよ!!(館林・進学塾クエスト)
こんにちは! 館林市の北西部、県立館林美術館の近くで小1生~高3生を対象とする「進学塾クエスト」を運営しております古口徳夫と申します。今回は「国語」について考えていきたいと思います。
■国語力の今と未来ー講演会から学んだこと
5月の日曜日(注:2023年)に東京・品川で行われた速読の教材を展開しているSRJさんの『全国大会』に参加しました。その際『国語力の今と未来』という題で著名な先生2名によるパネルディスカッションが行われました。今回はその内容をご紹介します。
講師は『誰が国語力を殺すのか』の作者・石井光太さんと文芸評論家と高校国語の教科書の編集にも関わる明治大学准教授の伊藤氏貴さんです。
お二人とも国語に対する造詣の深いお方です。以下、お二人の話の中で気になったこと、私が感じたことを挙げていきます。
★子どもたちが背伸びをして読書をしない(=難しい本を読まない)ので、年齢相応の語彙の蓄積が行われない
読書はするけれど、「自分が読みやすい文章(例:ライトノベルなど)」ばかりだった子は読解力がクラスで一番低かったそうです。このような読書を続けていたり、読書自体をしない状態が続くと……日本語が成立しません。
1.思考に深みが出ない・行間が読めない→何でも「やばっ!」「すごい!」で表現してしまう
適切な言葉で表現できないので、コミュニケーションが成立しない。誤解が生じやすくなる。言葉の裏にある『真意』がわからないので短絡的な行動を取りがち(少年院に行ってしまった子たちは「先輩が大丈夫だって言ったから」犯罪に手を染めてしまったというケースがたくさんあるそうです)。Lineやツイッターへの書き込みが原因でいざこざが起こるのはよくあることですよね。
2.情緒力・想像力・論理的思考力が育たない
言葉ではなくて「雰囲気を感じる」だけで思考が進んでいくので、筋道を立てて「自分は今何を考えているのか」ということもできない。昨今の闇バイトのように「これをするとどうなるのか」という『想像力』が働かない。銀座の事件に関わった少年たちは「捕まる」という想像ができなかったのではないか?と石井先生はおっしゃっていました。文献が読めない大学生がたくさんいると伊藤先生はおっしゃっていました。
【解決策】言葉による「解像度」を上げなければならない
とにかくたくさんの言葉を知る→それを使う→時にはトラブルも起こる→それを「力」ではなく、「対話(※)」によって解決する練習を社会に出るまでの間にどれだけ経験していけるのかが、今の子どもたちにとって最も大切なことなのです。
こうした力を観るために国立大学の理系の試験に国語があるのだ私は理解しています。
(※対話……相手の言いたいことを想像し、汲み取りながら話を進めること。日頃の雑談は「会話」です)
「『誰が国語力を殺すのか』-それは文部科学省だ」と石井先生はおっしゃいました。実際に今回の高校の学習指導要領からは「論理国語(説明的文章)」と「文学国語(小説など)」が設定されました。上位進学校の多くは「論理国語」を採用する傾向があります(比較的成績を上げやすいので)。そうすると、思考が最も発達する思春期に「人の気持ちを推し量る」、つまり、「意味(書いてあること)ではなく『意図(真にイイタイコト)』を読む感覚の習得」にかなりのダメージが生じることは間違いないでしょう。伊藤先生は「高校の国語の教科書には万人が共感できるものなんて、一切載せません。『なんだこいつ?マジ意味わかんね!』と違和感を感じ、そこから想像することで『人の多様性』を感じていくのが高校国語の真の目的なのです」とおっしゃいました。
編集部注
26年5月11日の読売新聞の報道によると、文部科学省は、2032年度以降に高校で実施予定の次期学習指導要領に向けて、国語の科目を再編する案を中央教育審議会の専門部会に示しました。
2022年度から始まった現行の指導要領では、実社会での国語力を高める狙いから「論理国語」と「文学国語」に分けて指導する改革が行われました。しかし、大学入試への対応などから「文学国語」の履修率が低迷し、理系志望の生徒を中心に「文学離れ」や学ぶ内容の偏りが懸念されていました。また、高校の現場からも「多様な文章に触れる機会が減った」という声が上がっていました。
こうした課題を受け、新設されたばかりの科目を廃止するという異例の刷新を行います。再編案では、論理国語と国語表現の基礎を統合した「現代の国語2」と、文学国語と古典探究を合わせた「言語文化2」の2つを選択科目として新たに設置します。これにより、評論や論説文を中心に扱いながらも、必要に応じて小説なども教科書で扱えるようにし、多様な題材で学べる環境を整えます。この再編案は、専門部会での検討を経て今年(26年)の夏頃に固まる見通しです。
小・中学生の教科書には『故郷(魯迅の小説)-中3』『月夜の浜辺(中原中也の詩)-中2』『柿山伏(狂言)-小6』『論語・漢詩-小5』などをはじめとする文学的文章がたくさん載っています。きっと、彼らのほとんどは「何言ってんだかわかんない」と感じることでしょう。「詩」なんて、大人が読んでも何が言いたいのかわからないものが多いですよね。
大切なのは、これらを読み、一生懸命「感じる」「想像する」ことによって、人の思考は深くなっていくということです。絵画や音楽も同様ですよね。見て・聴いて、作者の意図をパッと理解することはなかなかできないでしょう。でも、解説を読んだりしながら「ふ~ん」「なるほどそうなのね~」と繰り返していくうちに『考えの幅』が拡がっていくのではないでしょうか。
■いまの子どもに演歌の歌詞は伝わらない?!
余談ですが、出版業界では「恋愛小説」というジャンルがすでに成立していないそうです。また、漫画も「セリフ」で説明しないと絵だけでは意図がつかめない、だから吹き出しの中が満タンになるということです。もはや漫画ではないとも言われているそうです。歌だってそうですよね。今の歌はとにかく歌詞のコトバの数が多いです。たくさんの言葉を使って一から十まで丁寧に説明している気がします。そこまで書かないと理解できなくなっているとも言えます。
ということは、今の子どもたちに「演歌」の歌詞の意味を考えさせるといったいどうなるのでしょう。……『天城越え』の「肩のむこうに あなた 山が燃える 何があっても もういいの」という歌詞なんて「山火事の中、逃げ回っている男女の歌」となっちゃうのでしょうか(爆)。演歌の歌詞を入試に出すのもありなのでは?と個人的には思います。国語力が低くなっていくと、例の「押すなよ!」というギャグは成立しなくなるのでしょうね。
何だか暗い内容になってきましたが、「どうすればいいのか?」石井先生はこうおっしゃいました。
★子どもたちは「カッコイイ」というものに対しては動きます
→だから、「国語力が使えるとカッコイイ」「読書してる人はカッコイイ」と子どもたちが感じられる世の中を
つくり上げていく必要がある……と。まずは「大人が読書している姿」を見せる必要がありそうですね。
■子どもは何かがきっかけで突然、動き出す
以前、宿題忘れ・勉強道具忘れの常習者(中1男子)に「やる気がないなら電話して帰れ!」と言いました。少したってその子はおもむろに立ち上がり、教室の外に出て行きました。「何をするのかな~」と思って見ていると、子機を持って電話番号を押し、私と見つめ合う彼(笑)。
「何してんの?」-「電話かけろって言ったから……」。すぐに受話器を取り上げて「……ということなので帰りません。すみませ~ん(^_^;)」とお母さんにお伝えして電話を切りました。
授業後、面談室で私は彼に伝えました。「○○くん、コトバにはウラがあるって知ってる? コトバをそのまま受け取っちゃダメときもあるんだよ(^_^)b」と。すると、彼は目をまんまるにして「えっ? 初めて知った!」という感じでした。でも、そのことをきっかけに、彼の中にはきっと何かが起きたのです。国語をはじめとして全体的に成績を伸ばして、最終的には第一志望の高校に合格しました。
子どもたちはあることがきっかけで「突然」動き出します。その瞬間を見るのが私の一番の楽しみです。
今通っている子たちのほとんどはまだ「アクセル」をおっかなびっくり、少しだけ踏んでいます。それぞれが無敵なエンジンを積んでいるので、アクセルを踏んだら今までにない経験が待っています。でも、コントロールも大変そうだし、怖いし、めんどくさいし(笑)
……アクセルを全部踏むには相当の「勇気」が必要です。でも、そのアクセルは誰かが踏ませるのではなく、「自分で」踏まなければなりません。その勇気をもってもらえるように、私たちは隣で伴走していきます。ということで、修学旅行のお風呂では「押すなよ!」と言われても絶対に押さないようにしてね(^_^;)
(2023年6月に執筆したものをもとにリライトしました)
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