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【塾の先生コラム】「正義」の反対は『別の正義』(桐生進学教室)

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【塾の先生コラム】「正義」の反対は『別の正義』(桐生進学教室)

オピニオン

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2022.05.07 
tags:SEKAI NO OWARI, SEKAI NO OWARI Death Disco, SEKAI NO OWARI Dragon Night, 塾の先生コラム, 桐生進学教室

| 「正義」の反対は『別の正義』

 異色のバンド「 SEKAI NO OWARI 」(セカオワ)に<Dragon Night>という名曲があります。その有名なフレーズの一部を紹介しますが、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

「人はそれぞれ『正義』があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない だけど僕の嫌いな『彼』も彼なりの理由があるとおもうんだ」

  Everybody  has  their  own  version  of  what’s  just . Maybe  war  is  something  that  is  natural  for  us .But  even  the  people  that  fill  me  with  hate have  their  reasons  to  live  their  life  that  way . 

(作詞/作曲 Fukase 2014年10月15日発売)

 

 英語版の方が「war」とか「hate」とかいう単語が使われていて日本語版よりも過激な表現となっています。(個人的にはこちらの方が好きです。)

 

 また、とあるゲームの中でキーパーソンである『黒野博士』がこのように発言しています。

「悪の反対は善、善の反対は悪じゃ。正義の反対は、別の<正義>あるいは“慈悲・寛容”なんじゃ」

 これらの名言の中の「正義」というフレーズは前回私が述べた内容と同様の意味で使われています。今回もまた「正義」について述べますが、切り口が前回とは異なっています。

 

| 「老子」の言葉から

 私の書斎の本棚のすぐに手の届くところに『老子』が置いてあります。その書物の中の一節に次のような有名な文言があります。

「大道廃、有仁義。智慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有忠臣。」

「大道廃れて仁義有り。智慧出でて大偽有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱して忠臣有り」

 

と読みます。そしてその意味は、私なりにこのように解釈しています。

 

「正しい道(ドウ=道徳)が失われると、ことさらに仁義が強調される。こざかしい智恵が発達すると、人を騙す偽物がはびこってくる。家族の愛情や仲間との友情が薄れてくると、ことさらに絆や仲間意識がもてはやされる。国や地方の人心が乱れてくると、愛国心や郷土愛が叫ばれてくる」

 

| 私が「中間期末対策」や「的中」を「偽物」だと断罪する理由

 これを『塾』という狭い業界に無理やりにあてはめて考えてみます。

 なぜ「仁」や「義=正義」を強く主張するのか。それはもっと大切な何かを失っている、隠している、あるいは始めから持っていないからではないでしょうか。

 前回も槍玉に挙げた「中間期末対策」や「入試問題の的中」などは、まさに「こざかしい知恵」から導き出された<偽物>だと言えるのではないでしょうか。

 もちろん、塾の先生が生徒と中間期末の出題範囲を一緒に勉強したり、塾の先生がその経験を基にして出題問題を予測したりするような<対策>は、私の批判の対象とはしていません。むしろ塾の仕事の一環として捉えています。

 ただ、この投稿をお読みの方々はここ数年で特定の塾がおこなっている「中間期末対策」の実態をどれだけご存知でしょうか。私が批判しているところのソレは「学校の先生が出題したその問題用紙と模範解答を生徒伝に塾が収集して次の学年の塾生たちにそのままもしくは一部をコピーしてテストの前に解かせる」というものです。もっと巧妙なのは「コピーではなく手書きもしくはPCで文書化して部分的に編集したものを解かせる」というものです。こちらの方法を使うと生徒は「本当に塾が出題問題を当ててくれた」と信じてしまいます。その先生が他校に転任しても中規模塾以上になると支店網や通塾範囲の広さから、先生の転任先も公表されている新聞紙上で追跡することが十分に可能となります。

 このこと保護者の方にお話しすると「知らなかった」「塾の先生が一緒になって勉強してくれているものとばかり思っていた」と返ってきます。

 先の「中間期末対策」を特定の塾が実施し始めた頃に中学校の先生が個々にどういう『対策』をしたかを、私は知っています。『答案の返却時に生徒たちにできなかった問題を勉強させたら問題用紙と模範解答をすべて回収してしまう』『問題用紙の下に<複製禁止>の文言と<作成した先生>のサインを入れておく』『コピーをすると元々の印刷文字が見づらくなるような値段の高い特殊な用紙を使う』などです。本当に涙ぐましい努力をなさっていました。

 

 抽象的な話はここまでにして、具体的な話=塾での実話をいくつか紹介します。

 

【事例1】

生徒「このあいだ、中間テストが返された日の放課後、階段を降りようとしていた時にクラスメイトから急に後ろから『お前さえいなければな、オレが1番なのにな。』って声を掛けられたんですよ。突き落とされるんじゃないかって、ちょっとドキッとしましたよ。」

塾長「ウチの塾は中間期末の順位はまったく重視していないから、だったら1番をその子に譲ってやればいいじゃないか。」

生徒「そんなのイヤですよ。でも、何であんなこと言ってきたのかな。」

塾長「たぶん親に言われたんじゃないかな。あらまた1番じゃなかったの、今月も塾にお金を払わなきゃならないじゃない、って。たぶんその子の通っている塾は1番になると授業料が免除されるんだよ。トモダチを紹介してその子が入塾すると5,000円分の謝礼がもらえる、なんていう塾もあるらしいよ。ウチにはそんなシステムはないけどね。」

生徒「・・・・・・」

 

【事例2】

保護者「先生、小学生のときに講習会に参加していた△△君、何で入塾させなかったんですか。○田高校に合格したそうですよ。」

塾長「それは個人情報ですのでお教えできませんが、何かあったのですか。」

保護者「その子の親が言いふらしているんですよ、『桐生進学教室の塾長は無能だ、ウチの子をバカ呼ばわりして。それに引き換え◇◇塾はたいしたものだ。ちゃんとウチの子を○田高校に合格させてくれた』って、そりゃもうすごい剣幕で。それを聞いてて何だか無性に腹が立って腹が立って、しまいには悲しくなってきちゃって・・・。」

塾長「嫌な思いをさせてしまって、申し訳ありません。」

ーーー1年半後ーーー

保護者「先生、例の○田高校の△△君、覚えてますか。この間あの子の親が○田高校に行って来たんだそうです。やっぱり丹羽先生はわかっていたんですね、あの子の実力を。」

<保護者の話の内容(概略)>

“あの子”は中間期末対策と大量の宿題つまり「やらされる勉強」で志望校に合格した。それを親が「ウチの子はやればできる」と信じて高校入学後も厳しく「やらせて」いた。文理選択も親が勝手に理系を選んで進級したがハイレベル・ハイスピードな勉強について行けず、ここで親が「文系にして欲しい」と学校に頼みに行ったが断られた。追い詰められた“あの子”は、親の作った弁当を食べずにそのまま持って帰りリビングのゴミ箱に捨てるようになった。

塾長「私は生徒の力量を無視して無理やり進学校に合格させたりはしません。それが親の強い望みであったり本人の頑なな願望であったりしても、です。ましてや生徒の人生を犠牲にしてまで塾の合格実績を見栄えのあるものにしようとは絶対に思いません。それにしても可哀想でしたね、あの子。」

保護者「でも、ありがたいです、先生。先生の進路指導のおかげでウチの子は学校が楽しいって毎日元気に通っています。」

 

【事例3】

塾長「うらやましいですね、そんなに何人も入塾待ちの生徒がいるなんて。でも、どうするのですか、その子たちを。」

某塾長「いやあ、だいたい1ヶ月から最長で3ヶ月も待てば入塾できますよ。だから待っててもらっても大丈夫なんです。」

塾長「いや、だから何で定員いっぱいなのに1ヶ月後とかに空きが出ることがわかるのか、ということですよ。」

某塾長「退塾するのではなくて、退塾させるんですよ。あれこれとこちらから理由をつけてね。ウチは宿題が大変なのはご存知でしょう。ウチの生徒で下の方の子がちゃんとできてるワケないじゃないですか。そこを突けば保護者も納得してくれますからね。塾はこれだけやってくれていたのにウチの子がダメだった、ってね。」

塾長<そうやって成績の良い子が問い合わせて来ると元々いる成績の良くない塾生と入れ替えているワケか・・・。どうりでこの塾の高校進学実績が意外に良いのはそういうカラクリがあったのか・・・。>(心の中のつぶやき)

| 塾の仕事には「責任」がともなう

 ある国の「正義」と別の国の『正義』とのハザマで苦しむのは、いつだって一般の人々です。ましてや一方が大国で攻められているもう一方の国が小国であるような場合は被る損害の程度には歴然としたものがあります。動員できる兵士の数や国家予算や軍事費あるいはプロパガンダやフェイクニュースの巧妙さも、その差があまりにも大きすぎるからです。

 これと同じように「塾の正義」と『別の塾の正義』も、実は前述したような形で“リアルな戦い”を起こしているのです。『教育』の現場は「戦争や紛争」とは無縁のように思われていますが、しかし、ここは<塾>という現場です。そんなにキレイ事が通用する業界ではありません。そしてこの“戦い”の被害者は、当たり前のことですが、生徒自身とその家族です。

 しかし、ここでもう一度『黒野博士』の言葉に戻れば、これらの“戦い”は『善と悪との戦い』ではないということです。あくまでも「正義」と『別の正義』との戦いです。

 例えば【事例1】の話について言えば、私の塾でもテストの点数や自主勉強の提出などによって「ポイント」を付与して一定のポイントが貯まればそれをモノに換えるということをしていますし、【事例2】の「進路指導」についても補足説明をするべき箇所があります。

 そもそも「余裕で志望校に合格できる子」は塾には通いません。(中学時代の私がそうでした) 言ってみれば『塾』という存在は「親の強い望み」と「生徒本人の頑なな願望」のハザマにあって、それらの「気持ち」と高校入試という『現実』との間を調整する役割を持つものだと考えます。

 親=保護者にはデータを示したり以前の進路指導の経験を話したりしながら、納得や安心をしてもらいつつ、生徒=塾生にはそのエネルギーの質と量を見極めながら希望や願望が現実のものとなるようにしっかりと指導していくことが、塾の仕事の中心です。

 ただし、プロとしてその「望みや願望」が叶わないことが予見できたり自分の指導力の外にあったりした場合にはどうするか、ということも考えておかなければなりません。これは「仕事」ではなく『責任』です。

 

| 塾に通わせるという「責任」

 保護者の方々にとって「子どものための塾を選ぶ」ということは<どちらの正義を支持するか>という選択であり<どの塾の正義を我が家の正義とするか>という選択でもあります。そしてそれが保護者にとっての『責任』ということになります。もちろん『塾には通わせない』という選択もあります。

 もうひとつ【事例4】を紹介すると、「お母さんが入塾の問い合わせ・相談・手続きをした後で、お父さんが『私は認めていない』と塾に乗り込んできて総てをキャンセルした」ことがありました。これと似たようなことは複数回経験しています。これらのケースではすべて、お父さんにとって『塾は悪』と認識されていました。

 

 今、あの国で起こっていることは『善と悪との戦い』なのか「正義」と『別の正義』との戦いなのか、私には判断がつきません。

 祖国に留まるか、どの国に身を寄せるか、留まらざるをえないか、どの塾を選ぶか、塾には通わせないか、塾には通わせられないか、次元は大きく異なってはいても「人生の選択」という点ではどちらにも共通するものがあります。

 

 終わりに、冒頭で紹介した「 SEKAI NO OWARI 」の<Death Disco>という名曲の一部分を紹介します。

「せいぎせいぎせいぎせいぎ…の中にあるたくさんのギセイを君は絶対疑わない」

(作詞  Fukase 作曲 Nakajin・Fukase 2013年10月30日発売)

 そして、たとえ<百万年に一度の奇跡のような一夜>であっても、君のひくギターで私が踊ることは、絶対にない。

 

***

 

※「私も」と「何か思い当たること」などがありましたら、ぜひ編集部(info@np-schools.com)に届けてください。そういう<生の情報・生の声>が世の中や個々の人間の未来を変えて行く力になるものと信じています。

 

次回は「教師」と『先生』という題で書かせていただきます。

 

プロフィール

丹羽塾長

<現職>

桐生進学教室 塾長

 

<経歴>

群馬県立桐生高等学校 卒業

早稲田大学第一文学部 卒業

全国フランチャイズ学習塾 講師

都内家庭教師派遣センター 講師

首都圏個人経営総合学習塾 講師

首都圏個人経営総合学習塾 主任

首都圏大手進学塾    学年主任

都内個人経営総合学習塾 専任講師

 

 

 

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