【塾の先生コラム】「偏差値操作」と『受験指導』(桐生進学教室)
|その時、「ある塾長」はなぜ偏差値操作に走ろうとしたのか?
「丹羽さんのところはどうする? 前期試験も終わったことだし偏差値をちょっと下げておこうか?」
「いや、ウチはいいです。そのままの数値にしておいてください」
群馬県入試に前期試験が導入され始めたころ、私たち塾長が数人集まって「直前テスト」なるものを共同で実施していました。1月の下旬から3月の後期試験直前まで毎週「学力テスト」を実施して「偏差値と合格判定」を出し、ともすれば前期試験という“他力本願”的な心理に塾生たちが陥ってしまうのを防いで後期試験への集中力を持続させることが主な目的でした。
テスト問題は塾の業界では簡単に入手することができますが、肝心の「データ処理」に時間が掛かってしまっては、このテストを行う意味がなくなってしまいます。週末に実施したテストをその日のうちに採点し、土日でデータ処理をして翌週の頭には生徒たちに返却できなければなりません。
仲間の塾長の一人が、それができたのです。塾を開く前には電算処理関係の会社に勤務していてソフトウェアの開発にも関わっていた経験を存分に生かしてくれたのです。
そこで、冒頭の発言ですが、“数値”をちょっといじれば「偏差値」を変動させることは十分に可能です。これについては前号で説明しました。彼はその技術を持っていましたので、作業は簡単な操作で済んだのです。
また、この「直前テスト」に参加していたのはごく少数の塾でしたので、データのサンプル数が少ないために、彼はこんなことも言っていました。
「丹羽さんのところの生徒さんたちは優秀だから平均点が上がっちゃうんだよな。だからダミーを打ち込んで均質化をしておかなきゃならないからちょっと手間がかかるんさね」
これもまた「偏差値操作」の一つの技術であるわけです。
ところで、冒頭の発言の“意図”はどこにあるのか、何のために「偏差値を操作」するのか、についてですが、それは『受験指導』のためです。3回目の投稿の文中で『塾の仕事』について私見を述べたのですが(覚えてくださっていると嬉しいのですが)、もう一度ここで確認します。
『塾』という存在は「親の強い望み」と「生徒本人の頑なな願望」のハザマにあって、それらの「気持ち」と高校入試という『現実』との間を調整する役割を持つものだと考えます。
<塾長>がなんだかんだ言ったところで、生徒たちは「できれば前期で受かりたい」と思っているわけです。でもベテランの<塾長>であれば、塾生の中で誰が前期で受かり誰は無理そうなのかはある程度は予測がつきます。
一般的な傾向としては「前期で受かりたい・・・!」と強く思っている生徒ほど受かる可能性が低い、ということが言えます。こういう生徒は実力=学力が勝負の「後期試験」では受かる自信がないからこそ「前期で受かりたい」と強く願うものだからです。そして、こういう生徒は後期試験でも不合格になる危険性があります。つまり“この子”が後期試験で合格が可能なほどに十分な学力を有しているのであれば、本人も心に余裕が持てているハズだし、この「直前テスト」でも、もっと前の「実力テスト」でも<十分な偏差値>や「良い判定」を出しているハズです。
ところが、残念なことに“この子”は「直前テスト」でも「合否のボーダーライン上」にいて、それでも真剣に現実と向き合えていない場合は<塾長>として何ができるかという切実な問題と向き合うことになります。しかもタイムリミットはすぐそこまで迫っています。受験生たちは塾長の<コトバ>よりも偏差値や合否判定の「データ」の方をより強く“信じる”傾向があります。<塾長>には心情的に甘えることもできますが「データ」は『客観的な事実』で受け入れざるを得ないものと考えているからです。そこで、「偏差値」を下げて、“喝を入れる”わけです。
当たり前のことですが、この行為は『善』ではありません。でも、その<塾長>にとっては「これが正義」なのです。生徒のためを思って敢えて“罪を犯して”いるのです。いや、「正しいことをした」と思っているのです。たぶん、きっと・・・。
私はこのようなことは絶対にしませんので(私はこれを「正義」だとは思っていないので)、こういう塾長たちの気持ちは理解できませんが、彼らのこの行動への動機は頭でなら理解することができます。そして私の中の“寛容さ”である程度は認めています。なぜなら、この「直前テスト」に参加している塾の<塾長>たちはそれぞれに「自分の正義」を持ち真剣に自分の塾の塾生たちと向き合っていることを私は知っているからです。
|「偏差値」をめぐるおぞましい業者のコトバ
それに対して、次に紹介するコトバの衝撃度・破壊力は「学力テスト」の信頼性を根底から覆すもので、とても“寛容”でいることはできません。
『学文館モギテスト』が廃業に追い込まれた時、さまざまな「業者テスト」が群馬県内に立ち上がりました。以前に私が所属していた学習塾団体も“統一テスト”という名を冠する学力テストを主催しようと動いていましたし、とにかく学文館の“ほぼほぼ独占状態”だった群馬県の学力テスト市場がいきなり“群雄割拠”の状態に突入したわけです。
そのような時に、あるテスト業者の営業マンが私の塾を訪ねてきました。彼は彼の会社が主催する“統一テスト”への参加を強くアピールしてきました。そしてこのコトバをハッキリと私に伝えました。
「先生のところもぜひウチの模試に参加してください。面談の前のテストデータでは偏差値を上げますから退塾防止に使えます。そして受験近くになったら偏差値を下げますので志望校変更の拠りどころにしてください。あ、どちらも塾の保管用のデータはノーマルなものをお渡ししますので安心してください」
これには即答で応えました。「誰がそんなテストに参加するか!」
この事実は私の妄想でもこのテスト業者に対する誹謗中傷でもありません。「この営業マンは契約を取りたくて必死なんだな」と勝手な解釈をして、その時の私は心と頭のバランスを保つのが精一杯でした。「名刺」くらいは貰っておけばよかったな、と今になってはちょっと反省しています。この文章を書くにあたってのエビデンス(証拠)が何も残されていないからです。
でも、“状況証拠”なら沢山あります。いや、あるハズです。この業者の学力テストを実施している群馬県内の多くの塾の保管庫の中とこの業者の学力テストを利用している塾長たちの頭の中に。
<塾長>が受験指導のプロとして自らの正義感に基づいて「偏差値操作」をしてしまうのならまだしも、「テスト業者」が販路を拡大するために塾をそそのかして不正を行う行為は絶対にやってはいけないことだと思います。そして、塾の指導を信頼してくれている保護者を、塾長や講師を信じてくれている素直な生徒たちを、つまりは自己保身を優先して彼らを<騙す>ためにこの業者のテストを“悪用“している塾も、絶対に許されるべきではありません。
それとも、この営業マンのその時だけの「口からデマカセ」だったのか、会社の経営が安定したので「今はもうやっていない」のか。そういう可能性もあるでしょうし、むしろそうであることを願っています。何しろこの「テストデータ」ひとつに受験生というひとりの人間の(15歳の、年端も行かないまだまだ子供の)人生がかかっているのですから。
ここでまたいつものように私の塾でのエピソードを紹介します。
中学3年生の10月下旬から11月上旬のころ
塾生「先生はどうして私のことを『大丈夫だ、絶対受かる』って言ってくれないんですか」
塾長「入試に“絶対”なんてあるわけないだろう。だからそんなことはコトバに出して言えることじゃあない。不安があるんだったらその分しっかり勉強しなさい」
塾生「だって、▲▲塾に通っている私のクラスのAちゃんは塾の先生から『この偏差値なら桐高の理数科に絶対受かる』って言われてすっごく喜んでいるんだもの」
塾長「ふ~ん。▲▲塾ってことは、○○テストのことだよね。そんなテストの偏差値なんて全く当てにならないからね。ところでそのAちゃんって、君よりも成績はいいの?」
塾生「ううん、私の方がずっといいよ。だから、私も先生に言ってもらいたくて来たんじゃない。」
塾長「▲▲塾は▲▲塾、ウチはウチ。絶対とは言えないけど、まあ君なら普通に合格して行くから、他人のことは放っておいてしっかり勉強しなさいね」
塾生「は~い」
前期試験の発表があった2月下旬
塾生「先生! いつかのAちゃんのこと覚えてる? ▲▲塾で絶対に受かるって言われていた子。」
塾長「ああ、もちろん」
塾生「Aちゃん、前期で理数科落ちて泣いてる。それだけじゃなくて、志望校を変更しろ、この偏差値じゃあ後期で理数科は受からないからって、塾で言われて」
塾長「ふ~ん。まあ、仕方がないんじゃないかな。理数科がムリでもキリジョくらいは入れるだろうから、まあ順当ってところじゃないかな」
塾生「先生! キリジョじゃなくて、キリショー。キリショーにしろって・・・。それに、塾の指示に従わずに受けて落ちたらもう塾生じゃないって言われたって・・・。 先生!それってあまりにひどいんじゃない! Aちゃんが可哀想・・・」
塾長「君は優しいね・・・」
もちろん、この「塾生」が誰なのか、そしてこの塾生に聞けば「Aちゃん」が誰なのか、ちゃんとした“エビデンス”を提示することができます。ただAちゃんのその後がどうなったのかは、私とこの塾生との間で話題にしたことはありません。
いかがでしょう、これを読んでおそらくあまり良い気分にはなっていないと思います。あの時の私と同様に心と頭の整理がつかないのではないでしょうか。
世界には巨大組織の『内部告発』をしてくれる、勇気ある人々が数多く存在します。そしてそれに応えて“ Me, too! ”と発信してくれる良心的な人々もそれ以上に多く存在しています。
ところで、今回の私の投稿は「内部告発」ではありません。物的な証拠が何一つ存在していないからです。でも先ほども述べたように“状況証拠”は至るところに存在しているはずです。少なくともこの一連の投稿が私の頭の中にしか存在しない“妄想”から発せられたものではない限り。
第1回目の投稿の中でも述べましたが、『教育』は『民主主義』を目指し、かつ同時に『民主主義』に根ざしていなければならない、と私は強く信じています。
そして、この『みんなの学校新聞』が大切な子供たちの将来を導くための力強い指針となってくれるものと、心から期待をしています。
次回は、「強力なプロパガンダ」と『控えめな真実』という抽象的なテーマです。
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師