【私小説】Nの青春<第2章> その3
第2章
天才とは、1%のひらめきと99%の努力である
(その2を読む)
その3
Nは高1の数学の最初の単元である『因数分解』でつまずいた。
いわゆる「たすきがけで因数を求める計算問題」を、暗算でできなかったのだ。筆算で何度も何度もやり直しをしながら因数を求めているNに対して、クラスの大半を占めている“理系”の奴らが口々にNに向かって言った。
「なにN!こんな計算問題わざわざ筆算使って解いてんの? 暗算使えば一発じゃないか。」と。
「何でこの3つの数字だけを見て直ぐに4つの数字に分解できるんだい?」とN。
「何でって、そりゃ、その数字しかないからだよ。」「なぁ。」と周囲に同意を求めるクラスメイトA。
「なぁ。」「なぁ。」「なぁ。」と、クラスメイトB・C・D。その中にはSの姿もあった。
そんなワケないじゃん、こんな問題を暗算で解ける方がおかしいんじゃないか、と必死に反論するNに対して、理系の奴らはNへの死刑宣告とも取れるこのコトバで締めくくった。
「この問題を暗算で解けないお前そのものが理解できない」と。
三年後、Sは西北大学の理工学部数学科に入学した。1つ上の先輩が東大の理Ⅰには合格したが西北大学理工学部数学科には不合格になったことを挙げてSは言った。
「俺は東大よりも上ってことになるね」
(イラストAC/作画 三色だんご)
その1年後にNも同じ西北大学に入学したので、学生時代のK市への帰省時(定期試験の終了がほぼ同じだったから)にはA駅発のRM号が偶然にも一緒の時が何度かあった。SとNは座席の隣同士でこんな話しをした。
「大学生でも数学を勉強するって、どんなことを勉強しているんだい」
「うーん。たえとば1たす1は本当に2になるかどうかを考えたりしているんだ」
「それって当たり前じゃん。何を今さら考える必要があるんだい?」
「それじゃあN、問題を出すね」「リンゴ1個とみかん1個で何個になる?」
「2個」
「そうだね。じゃあバレーボール1個とバスケットボール1個で何個?」
「2個。当たり前過ぎない?」
「それでは本題です。リンゴ1個と地球1個では何個になる?」
「いや、それって、そもそも足し算の対象にならないんじゃないか。いくら何でも大きさが違いすぎるだろう。」
「じゃあさ、空を見上げた時に見える月1個と太陽1個では?」
「それなら2個見えるよな」
「でも実際の大きさは月と太陽じゃあリンゴと地球ほどではないにしても全然違うよね。Nの考え方ならその2つの足し算は成り立たないことにならいか?」
「う~ん…」
思い返してみれば高校生時代にもSはNによく問題を出していた。
「アルキメデスは亀を追い越せない」とか「放たれた矢は絶対に的には当たらない」とか「平行線は必ず交わる」とか「三角形の2辺の和は残りの1辺の長さに等しい」とか、Nにとっては頭が混乱するものばかりだった。
大学卒業後にも何度かRM号が一緒の時があった。
「いま何してる?」
「上司の命令で計算の速いコンピュータを作ってる」
「どんな?」
「1+1=2って計算を1秒間に何億回も計算できるやつ」
「ふーん」
「それでさ、このあいださ、プログラムをちょっといじったらさ、それまで1時間かかっていた計算を30分でできるようになってさ。ウチのコンピュータって1時間レンタルすると100万かかるから30分ぶんの50万円をボーナスで欲しいって言ったらさ、上司に怒られちゃった」
「ふーん。で、そのコンピュータって他に何かできるの? 絵を描くとか、言葉をしゃべるとか」
「ううん。計算だけ」
「それって何の役に立つの?ただ1+1=2を速く計算できるってだけで」
「オレにもわかんない」
これがNの、後に世界一の計算速度を誇るコンピュータとなる「アレ」に対する最初の評価だった。
また別の時にはこんなことも言っていた。
「いま俺の給料は国から出ているんだ。なんだか国家プロジェクトだとか言ってさ、会社から派遣されているんだよ」
つまりSは「億」じゃなくて「兆」じゃなくて「アレ」を開発した研究者(技術者)の一人だったわけだ。
高校3年生の夏、精神的にとても不安定になっていたNは突然、空を飛びたくなった。『ハングライダー講習会in苗場』のチラシが目に留まったのだ。そのチラシを学校に持って行き、期末テストが終わったばかりのクラスメイトの中でその結果に落ち込んでいるであろう数人の“仲間たち”と思しき者たちにちょっとした“余裕”を見せるつもりで、「空を飛びたいよなぁ」と言ってみた。
すぐに反応してきたのがなんとSだった。「一緒に行こうぜ」と、Sは本気の乗り気だった。
翌日、Sは家から許可をもらってきたが、言い出しっぺのNの方は「受験生のくせに何を考えている。この夏こそしっかり勉強しろ」と怒鳴られるのが精々だった。本気で残念がっていたSは、その代わりに夏休みの終わりの一週間を文庫本と数学の参考書を携えて鄙びた温泉に籠っていたそうだ。
Sは、スキー・スキューバ・レーシング・ギター・マージャン・etc、どれをやってもA級ライセンスを取得した。
確かに偉人が言うように“才能”はたったの1%なのだろう。だから「普通の人」は残りの99%の部分の完成を目指してひたすら“努力”を積み重ねてゆくしかないのだ。残酷なまでのこの真実を、世間知らずのまま育ったNが理解することはほとんど不可能であった。
(つづく/毎週木曜掲載)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師