【塾の先生コラム】「教師」と『先生』❸(桐生進学教室)
2回分、私の昔話にお付き合いいただきありがとうございます。
こちらから読み始める方は、第1回 第2回 をぜひ読んでみてください。
さて、昔話はこれくらいにして、いよいよ今回のテーマ、本題に移りたいと思います。
| 「教師」と『先生』の違い
私の考えでは、「教師」は『公=おおやけ』であり『善を教える者』で、一方の『先生』は「特定の個人」に対して「人生の指針を示す者」と定義します。
学校のセンセイには「教師」の側面と『先生』の側面の両方があり、私たちが子どもの頃に“センセイ”と呼びかけていたのはどちらかといえば後者の意味で、反抗期に入った頃からはそれが逆転して前者の意味で捉えるようになります。高校生ともなれば一部の「センセイ」も『反面教師』として後者の仲間入りを果たしていました。
先日たまたま観た中国ドラマで、皇太后が孫の皇子に向かってこういうことを言っていました。「教育係」の臣下がその皇子に対して<人として、未来の皇帝になる者としてとても大事なコトを教えた>として、「今からお前はこの者のことを『先生』と呼びなさい」と。そしてその皇子がこの臣下に向かって恭しく最大級の礼を以って応えていました。
「塾のセンセイ」はどうでしょう。塾の先生を誰も「教師」とは言いません。このことは私がこれまでに述べてきた<塾の正義>と合致します。塾は『善を教える』ところではないからです。そして学生時代に塾でアルバイトをしたことのある人なら「ジュクコウ」とか「カテキョウ」とかいう言葉を使ったことがあるはずです。そう、塾のセンセイは「塾の教師」ではなく「塾の講師」なのです。善も教えない(むしろ教えてはいけない)、人生も教えない、ただ教科の知識や問題を解くためのテクニックを教えるだけの存在です。
しかし<塾長>となると話は違います。もちろん『善』は教えません(教える資格を持っていません)。しかし「人生」のひとつやふたつくらいは語れなければいけません。そして「特定の個人」すなわち「塾生」の人生をしっかりと後押しできなければなりません。つまり<塾長>とは『人生の師匠』という側面も持っていなければならないと考えます。師匠とは、善でなくても完全なオトナでなくても一向に構いません。<共に正義だと思うものに向かって共に悩みながら歩む存在>であれば良いのです。でも「人生」を語れなければその資格は与えられるものではない、とも考えます。
つまり<塾長>として大事なことは「理念を語る」ことだけではなく『人生も語る』ことです。その<塾長>は中学時代にどんな風に思春期を過ごし、高校時代はどんなコトに反発し、高校入試や大学受験は何を根拠に何を目的としてその学校を選んで“母校”としたのか、自分のコトバで塾生たちに語れなければなりません。子どもがその人の背中や行いを見て勝手にその人を師として仰ぐのとは違います。塾長とはそれを自ら語らなければならない職業だからです。
さらに、保護者にも語れなければなりません。それは「自分の子どもをどの様に育てたか」についてです。保護者が単にわが子の成績の向上だけを望むのであれば、それは「講師」の仕事だけで十分です。多くの保護者が<親>として自分の子育てにも悩んでいます。わが子を育てあげた塾長ならば、これについても語らなければなりません。子育てもまた、その塾長にとっては「人生の一部」だからです。
この投稿をお読みの「保護者」の皆さん、ぜひ<塾長>に語ってもらいましょう。そのときの質問としては以下のようなものが基本事項となるでしょう。
- 中学時代の勉強の仕方と高校の選び方について
- 大学受験の仕方と高校時代の勉強方法や教科選択について
- 塾長になった経緯と<塾の正義>について
- 塾長のお子さんへの教育実践とその子の進路について
<塾長>が単なる「講師」なのか『先生』すなわち『わが子にとっての師』たり得るのか、が判断できます。ただしこの行為が<我が家の正義>に反する場合や初めから先生であることを望んでいない場合は、もちろんその必要はありません。
次回のテーマは「桐高」と『キリタカ』について、です。
(おわり)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師