ホーム

»

学校ニュース

»

【私小説】Nの青春<第3章> その2

学校ニュース

一覧はこちら

【私小説】Nの青春<第3章> その2

文化

みんなの学校新聞編集局 
投稿日:2023.07.21 
tags:桐生進学教室, N君の青春

第3章

 歌は心を潤してくれる。 リリンの生み出した文化の極みだよ。

               ~  渚 カヲル  ~

(その1を読む

 

 やがて高校生になったNは驚いた。K高のクラスメイトの多くが「ピアノ」を習い、「ギター」が弾けて、中には「ヴァイオリン」を習っていた者もいた。彼らは授業の合間の休み時間になるともっぱら“音楽談義”に夢中になっていた。前述の元H小から転校したSもそうだし、総務委員のTも、成績優秀なKも皆「音楽」をやっていた。2年から同じクラスになるTは「バンジョー」を持って来て、Nのクラスメイトと一緒に“セッション”を楽しんでいた。中にはK女子高の子を交えてバンドを組んで放課後にそれぞれの家に行って練習していた者たちもいた。彼ら彼女らの家族は「音楽」に対して好意的で理解のある人たちだったのであろう。

 

 NもGW明けにはギターを買ってもらって練習を始めてはみたものの、1か月で挫折した。幾つかのコードを覚えて形なりにも曲を弾けるようにはなったのだが、悲しいことにNは音痴だったのだ。曲を奏でてもそれで心が潤うことはなかった。高校2年生の音楽の授業で「リズム」の実技テストを受けた時にもNは最後まで残されて、終いには「N、もういいよ」と音楽の先生からも呆れられる程にリズム感も無かった。Nの姉もNの妹も“音大”に入学したというのに、この差は一体どこから来たというのであろうか。

 絶対にDNAでなはい。だとするならば、結論はここにあると言える。

「幼少期からの音楽との関わりが成長してからの音楽の感性に決定的な影響を与える」と。

  そういえば東大生の多くが「ピアノを習っていた」経験を持っているとのことだし、実は英語の習得と音楽との関係も浅からぬものがあると聞く。Nは英語のリスニングも不得意であった。(だから英文法を徹底的に勉強した)

 

 そして、これに関連してちょっと悲しい話がある。Nの姉のことだ。

 Nの姉は中学生の頃から“音大”を目指すようになった。しかも<ピアノ科>を。もちろんその頃には「近所の音楽教室」ではなくK市内の「専門の先生」について個人レッスンを受けていたのだが、さすがに<ピアノ科>の受験ともなると“音大のピアノ科を卒業した”その先生であっても力量不足を感じていたらしく、M市で教室を開いている「その先生の師匠」に当たる方を紹介された。Nの姉は体も小さく、手の大きさも目一杯大きく開いても1オクターブが届かなかったので、本格的なレッスンを受けるようになったら両手の指と指の間の付け根のところを切開することまで考えていた。

 M市の師匠のところに個人レッスンのお願いに行った日、Nの姉は泣きながら家に帰ってきた。車を家の駐車場に停めて後から家に入ってきた母親がゆっくりと家族に向かって事情を説明し始めた。

 M市の師匠は予めK市の先生から連絡を受けていたので快く招き入れてくれた。手土産を渡して母と姉による一通りの挨拶を終えると、早速師匠は姉の力量を試すために二人をレッスン室に案内した。楽譜が渡されて、「初見」でそれを弾くように姉に命じた。

 

 姉がピアノの前に座り、緊張した手を鍵盤に落とすか落とさないか、指がピアノに触れるか触れないかの、その瞬間に、師匠はパンパンと手を2回ほど叩いて言った。

「ハイ、ご苦労様」

 そしてハッキリと姉に言い渡した。

「私は指導できないから、またK市の先生からレッスンを受けてね」と。

 何が何やら訳が分からずに唖然としている姉に代わって、母親が恐る恐る師匠に尋ねた。

「娘はまだ何も弾いていません。いったい何がいけなかったのでしょうか」

 師匠は優しく厳しい声で言った。

「残念ね。あなたの手はオルガンの手ね。これではピアニストにはなれないわ。」と。

 Nの姉はとても努力家だった。そして何よりも音楽が好きだった。だから、最初にオルガン教室に通い始めた頃に一生懸命に「オルガン」を練習してしまったのだ。その後すぐにピアノ教室に変わったものの講師は所詮「音楽をちょっとかじったくらい」の人なので「手の形」が後々の演奏にどのような影響を与えてしまうのかなどという問題には全く頓着していなかったのだ。この時に「オルガンの手」から「ピアノの手」に徹底的に鍛え直してもらえていたなら、そういうちゃんとした『指導者』に出会えていたなら、その後の姉の人生は大きく変わっていたことであろう。

 一方でNの妹はというと、「ソルフェージュ」特に「聴音」は姉よりも得意だった。「絶対音感」も持っていた。何しろ物心が付いた頃から家にはピアノがあり、熱心に練習をしている姉のピアノの音を聞きながら育ったのだから。

 

 それでも「音楽」を捨てきれなかったNの姉は<声楽科>へと転向した。

 

(つづく/毎週木曜日掲載)

<編集部から>

来週の7月27日(木)の配信で第3章が完結し、第4章は9月から再開します。8月期間中、繁忙期になるためご了承ください。

 

プロフィール

丹羽塾長

<現職>

桐生進学教室 塾長

 

<経歴>

群馬県立桐生高等学校 卒業

早稲田大学第一文学部 卒業

全国フランチャイズ学習塾 講師

都内家庭教師派遣センター 講師

首都圏個人経営総合学習塾 講師

首都圏個人経営総合学習塾 主任

首都圏大手進学塾    学年主任

都内個人経営総合学習塾 専任講師

 

 

ページトップへ