【私小説】Nの青春<第5章> その2
第5章
何を着るかは、世界に向かって自分をどう表現するかということよ。 」
What you wear is how you present yourself to the world .
~ ミウッチャ・プラダ ~
(その1を読む)
中2の秋から本格的な「勉強モード」に入ったのは良いのだが、Nの勉強部屋は北向きの隙間風が平気で通り抜けて行く極寒の部屋だった。何しろNの家は「築二百五十年」の純和風建築で断熱材などは一切使われておらず、冬場の暖房は土間に隣接した囲炉裏の火と“居間”にある堀り炬燵の練炭だけだった。もちろん夏場のクーラーなどは1台もなかった。さらにNの勉強部屋は北側に少し突き出た(後から付け足した)構造になっていたので三面の壁(窓)から冷気が侵入してきた。いくら猛勉強で頭を使って発熱させたところで人間ひとりから発生する熱量はたいしたものではなく、深夜の1時2時ともなると部屋の温度計が4℃を示すことが多々あった。そして、Nの勉強部屋はNの寝室でもあった。
「体が冷えて、寒くてなかなか寝付かれない」と相談したら、祖母は、「じゃあ、これを飲んでから寝ろ。体が温まるぞ」と言って、赤い色をした液体(飲み物)を渡してくれた。
「これって、○○○じゃないか。こんなの中学生が飲んだらダメでしょ」と“正論”を言ったら、祖母は即座にこれを否定した。
「だだの薬だ、体が温まるな、だから安心して飲め。ただし飲み過ぎるな、適量にしておけ、薬だからな。」
Nは祖母の提案を受け入れた。確かに身体がほんのり温まる「良薬」だった。
中学3年生の修学旅行の時もそうだった。
Nは“バス酔い”が酷かった。自動車や電車は大丈夫なのだが、2時間もバスに揺られると、もう限界だった。もしかしたら胃の方も弱かったのかもしれない。だから学校のバス旅行(長距離の時)はいつも前の方の席があてがわれた。担任の先生やバスガイドさんや保健室の先生が近くにいてイザというときに対処してくれるからだ。
不思議なもので、しっかりと勉強をすると成績が上がり(これは当然か)、成績が上がると自意識も高まってくるらしい。とはいえNの学校内での成績は中間・期末の順位は150人中12・13番、通知票も半分以上が3と4だったので特に成績優秀でも何でもなかったのだけれど、中3になってから毎月実施される「学力テスト」は偏差値73で学年ではダントツの1位になった。
だから修学旅行のバスの中での失態は絶対に避けなければならなかった。二泊三日の修学旅行は<富士・箱根・伊豆>で、交通手段は『バス』だった。
相談相手が毎回祖母なのがいけないのか、祖母の提案を心密かに望んでいるNがいけないのか、「前の晩にこの安定剤を飲んでから寝ろ。次の日は気が楽になるぞ。」と言ってNの旅行カバンの底に○○○○○のミニボトルを2本忍ばせてくれたのを見ながら、Nは自分の心が既に落ち着いていることに気付いていた。これ以降どんなに長距離であろうとも「乗り物で酔う」ことはなくなった。
(つづく)
プロフィール
丹羽塾長
<現職>
桐生進学教室 塾長
<経歴>
群馬県立桐生高等学校 卒業
早稲田大学第一文学部 卒業
全国フランチャイズ学習塾 講師
都内家庭教師派遣センター 講師
首都圏個人経営総合学習塾 講師
首都圏個人経営総合学習塾 主任
首都圏大手進学塾 学年主任
都内個人経営総合学習塾 専任講師